・・・今日チェルシーに来て倫敦の方を見るのは家の中に坐って家の方を見ると同じ理窟で、自分の眼で自分の見当を眺めると云うのと大した差違はない。しかしカーライルは自ら倫敦に住んでいるとは思わなかったのである。彼は田舎に閑居して都の中央にある大伽藍を遥・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・ 余事はとにかく、私は道に迷って困惑しながら、当推量で見当をつけ、家の方へ帰ろうとして道を急いだ。そして樹木の多い郊外の屋敷町を、幾度かぐるぐる廻ったあとで、ふと或る賑やかな往来へ出た。それは全く、私の知らない何所かの美しい町であった。・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ 焙られるような苦熱からは解放されたが、見当のつかない小僧は、彼に大きな衝撃を与えた。それでいて、その小僧っ子の見てい、感じてい、思ってい、言う言葉が、 彼は車室を見廻した。人は稀であった。彼の後から跟いて入って来た者もなかった・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・自重健闘を祈る。―― 吉田は、紙切れに鉛筆で走り書きをして、母に渡した。「これを依田君に渡して下さい。私はちょっと行って来ますから。心配しないで下さいね。大丈夫だから」 老母の眼からは、涙が落ちた。 吉田は胸が痛かった。・・・ 葉山嘉樹 「生爪を剥ぐ」
・・・ けれども、死骸はたやすく見当らなかッた。翌年の一月末、永代橋の上流に女の死骸が流れ着いたとある新聞紙の記事に、お熊が念のために見定めに行くと、顔は腐爛ってそれぞとは決められないが、着物はまさしく吉里が着て出た物に相違なかッた。お熊は泣・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・そしたら、学術的に心持を培養する学理は解らんでも、その技術を獲ることは出来やせんか、と云うので、最初は方面を撰んで、実業が最も良かろうと見当を付けた。それで、実業家と成ろうと大分焦った。が併し私の露語を離れ離れにしては実業に入れぬから、露国・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・その好意は謝するに余りあるけれども、見当が違った注意であるから何にもならぬ。今日の我輩は死を恐れて煩悶して居るのでない。それよりも自分に注意を与えるその宗教家などの様子を見ると、かえって何だか不安心なような顔付が見えて居て、あべこべに此方か・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・それだから仕事の予定も肥料の入れようも見当がつかないのだ。僕はもう少し習ったらうちの田をみんな一枚ずつ測って帳面に綴じておく。そして肥料だのすっかり考えてやる。きっと今年は去年の旱魃の埋め合せと、それから僕の授業料ぐらいを穫ってみせる。実習・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・政治一般の方針を示さず、検討せず、どうして公務員法案だけは通してよい法案であることが納得されるだろう。政策のはっきりしない政党を支持しようがない、という現実がアメリカの大統領選挙においても示された。いま政権をもっているということが将来を決定・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・ ファシズムに対するわたしたちの闘いには、これらのデマゴギーと挑発によって事実を不正確につたえられる現実の一つ一つに対して、先ず事実を検討し、それから落付いて判断してゆく理性のつよい歯車がいります。現実的な生活的な勉強がいります。・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
出典:青空文庫