・・・ことにその橋の二、三が古日本の版画家によって、しばしばその構図に利用せられた青銅の擬宝珠をもって主要なる装飾としていた一事は自分をしていよいよ深くこれらの橋梁を愛せしめた。松江へ着いた日の薄暮雨にぬれて光る大橋の擬宝珠を、灰色を帯びた緑の水・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・餅屋が構図を飲込んで、スケッチブックを懐に納めたから、ざっと用済みの処、そちこち日暮だ。……大和田は程遠し、ちと驕りになる……見得を云うまい、これがいい、これがいい。長坂の更科で。我が一樹も可なり飲ける、二人で四五本傾けた。 時は盂蘭盆・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ ざっと、かくの次第であった処――好事魔多しというではなけれど、右の溌猴は、心さわがしく、性急だから、人さきに会に出掛けて、ひとつ蛇の目を取巻くのに、度かさなるに従って、自然とおなじ顔が集るが、星座のこの分野に当っては、すなわち夜這星が・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 諸君、他日もし北陸に旅行して、ついでありて金沢を過りたまわん時、好事の方々心あらば、通りがかりの市人に就きて、化銀杏の旅店? と問われよ。老となく、少となく、皆直ちに首肯して、その道筋を教え申さむ。すなわち行きて一泊して、就褥の後に御・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・ 構図というのが、湖畔の霜の鷭なのである。――「鷭は一生を通じての私のために恩人なんです。生命の親とも思う恩人です。その大恩のある鷭の一類が、夫も妻も娘も忰も、貸座敷の亭主と幇間の鉄砲を食って、一時に、一百二三十ずつ、袋へ七つも詰込・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ かつ椿岳の水彩や油画は歴史的興味以外に何の価値がない幼稚の作であるにしろ、洋画の造詣が施彩及び構図の上に清新の創意を与えたは随所に認められる。その著るしきは先年の展覧会に出品された広野健司氏所蔵の花卉の図の如き、これを今日の若い新らし・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・みょうが屋の商牌は今でも残っていて好事家間に珍重されてるから、享保頃には相応に流行っていたものであろう。二代目喜兵衛が譲り受けた軽焼屋はいつごろからの店であったか、これも解らぬが、その頃は最早軽焼屋の店は其処にも此処にもあってさして珍らしく・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・や婦人画報の「夜の構図」などの作品が、もし僕以外の作家によって書かれたとしたら、誰も「悪どい」という一語では片づけなかっただろう。むろんこれらの作品は低俗かも知れない。しかし、すくなくと反俗であり、そして、よしんば邪道とはいえ、新しい小説の・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・任意の一点と思っても、しかし、はじめに設定した任意の一点は私の文学の構図を決定してしまうことになりがちだ。その一点をさけて、線を引くことが出来なくなる。私は私の任意の一点を模倣していたのだ。 私は非常な人生浪費者だ。私の浪費癖は、もうい・・・ 織田作之助 「私の文学」
・・・半僧坊のおみくじでは、前途成好事――云々とあったが、あの際大吉は凶にかえるとあの茶店の別ピンさんが口にしたと思いますが、鎌倉から東京へ帰り、間もなく帰郷して例の関係事業に努力を傾注したのでしたが、慣れぬ商法の失敗がちで、つい情にひかされやす・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
出典:青空文庫