・・・其ノ創立ノ妓楼トイフモノハ則曰ク松葉屋、曰ク大黒屋、曰ク小川屋曰ク吉田屋曰ク金邑屋此ノ他局店ハ曰ク三福長屋、曰ク恵比寿長屋等各三四戸アリ。徒コレニ過ギズ。然ルニ皇制ノ余沢僻隅ニ澆浩シ維新以降漸次ソノ繁昌ヲ得タリ。乍チニシテ島原ノ妓楼廃止セラ・・・ 永井荷風 「上野」
・・・然し彼等は其僅少な金銭の為に節操を穢しつつある。瞽女でも相当の年頃になれば人に誉められたいのが山々で見えぬ目に口紅もさせば白粉も塗る。お石は其時世を越えて散々な目に逢って来たのである。幾度か相逢ううちにお石も太十の情に絆された。そうでなくと・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・「絹買えば白き絹、糸買えば銀の糸、金の糸、消えなんとする虹の糸、夜と昼との界なる夕暮の糸、恋の色、恨みの色は無論ありましょ」と女は眼をあげて床柱の方を見る。愁を溶いて錬り上げし珠の、烈しき火には堪えぬほどに涼しい。愁の色は昔しから黒であ・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・徒らに高く構えて人情自然の美を忘るる者はかえってその性情の卑しきを示すに過ぎない、「征馬不レ前人不レ語、金州城外立二斜陽一」の句ありていよいよ乃木将軍の人格が仰がれるのである。 とにかく余は今度我子の果敢なき死ということによりて、多大の・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・ 私はポケットからありったけの金を攫み出して見せた。 もうこれ以上飲めないと思って、バーを切り上げて来たんだから、銀銅貨取り混ぜて七八十銭もあっただろう。「うん、余る位だ。ホラ電車賃だ」 そこで私は、十銭銀貨一つだけ残して、・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・能代の膳には、徳利が袴をはいて、児戯みたいな香味の皿と、木皿に散蓮華が添えて置いてあッて、猪口の黄金水には、桜花の弁が二枚散ッた画と、端に吉里と仮名で書いたのが、浮いているかのように見える。 膳と斜めに、ぼんやり箪笥にもたれている吉里に・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・仮令命を失ふとも心を金石のごとくに堅くして義を守るべし。 幼稚の時より男女の別を正くして仮初にも戯れたる事を見聞せしむ可らずと言う。即ち婬猥不潔のことは目にも見ず耳にも聞かぬようにす可しとの意味ならん。至極の教訓なり。是等は都て・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
遺言状一 余死せば朝日新聞社より多少の涙金渡るべし一 此金を受取りたる時は年齢に拘らず平均に六人の家族に頭割りにすべし例せば社より六百円渡りたる時は頭割にして一人の所得百円となる計算也一 此分配法ニ・・・ 二葉亭四迷 「遺言状・遺族善後策」
・・・丈は不吊合に伸びていて、イギリス人の a long lad なんぞと云うたちである。金は無い。親を亡くした当座で、左の腕に喪章を附けている。その時のマドレエヌはどうであったか。栗色の髪の毛がマドンナのような可哀らしい顔を囲んでいる若後家であ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・棚引いている白雲は、上の方に黄金色の縁を取って、その影は灰色に見えている。昔の画家が聖母を乗せる雲をあんな風にえがいたものだ。山の裾には雲の青い影が印せられている。山の影は広い谷間に充ちて、広野の草木の緑に灰色を帯びさせている。山の頂の夕焼・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
出典:青空文庫