・・・わたくしは円タクの窓にもしばしば同じような花のさしてあるのを思い合せ、こういう人たちの間には何やら共通な趣味があるような気がした。 上框の板の間に上ると、中仕切りの障子に、赤い布片を紐のように細く切り、その先へ重りの鈴をつけた納簾のよう・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・私がこう云うとあまり極端な言語を弄するようでありますが、実際外国人の書いたものを見ると、私等には抽出法がうまく行われないために不快を感ずる事がしばしばあるのだから仕方がありません。 現代の作物ではないが沙翁のオセロなどはその一例でありま・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・近来はしばしば、家庭の不幸に遇い、心身共に銷磨して、成すべきことも成さず、尽すべきことも尽さなかった。今日、諸君のこの厚意に対して、心窃に忸怩たらざるを得ない。幼時に読んだ英語読本の中に「墓場」と題する一文があり、何の墓を見ても、よき夫、よ・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・醒めての後にも、私はそのヴィジョンを記憶しており、しばしば現実の世界の中で、異様の錯覚を起したりした。 薬物によるこうした旅行は、だが私の健康をひどく害した。私は日々に憔悴し、血色が悪くなり、皮膚が老衰に澱んでしまった。私は自分の養生に・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・私もしばしば試みたけれども、十数回のうちで、たった一度しか成功しなかった。 響灘は玄海灘とつづいているが、白島付近は魚と貝類の宝庫だ。そこへ二、三年前、一月の寒い風に吹かれながら、ソコブク釣りに出かけた。河豚のおいしいのは十二月から一月・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・ 内閣にしばしば大臣の進退あり、諸省府に時々官員の黜陟あり。いずれも皆、その局に限りてやむをえざるの情実に出でたることならん、珍しからぬことなれば、その得失を評するにも及ばず。余輩がとくにここに論ぜざるべからざるものは、かの改進者流の中・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・余はしばしば種々の苦痛を経験した事があるが、此度のような非常な苦痛を感ずるのは始めてである。それがためにこの二、三日は余の苦しみと、家内の騒ぎと、友人の看護旁訪い来るなどで、病室には一種不穏の徴を示して居る。昨夜も大勢来て居った友人(碧梧桐・・・ 正岡子規 「九月十四日の朝」
・・・という言葉は、前衛的な人たちによってしばしば使われていますけれども、私はいつも一種の感じをもってきいているのです。わたしたちの家庭のなかに、あるときはわたしたち自身のなかに、「おくれた大衆」はいないのかしらと思って。戦争中は少尉や中尉で、は・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・ 恐い夢 私は歯の抜ける夢をしばしば見る。音もなくごそりと一つの歯が抜ける。すると二つが抜ける。三つが抜けたと思わないのに、不思議に皆抜けているのである。赤い歯茎だけが尽く歯を落して了って、私の顔であるにも拘らずその歯・・・ 横光利一 「夢もろもろ」
一 私は近ごろ、「やっとわかった」という心持ちにしばしば襲われる。対象はたいていこれまで知り抜いたつもりでいた古なじみのことに過ぎない。しかしそれが突然新しい姿になって、活き活きと私に迫って来る。私は時にいくらかの誇張をもって、・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫