・・・次に魚がぎゅっと締める時に、右の竿なら右の手であわせて竿を起し、自分の直と後ろの方へそのまま持って行くので、そうすると後ろに船頭がいますから、これが網をしゃんと持っていまして掬い取ります。大きくない魚を釣っても、そこが遊びですから竿をぐっと・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・馬琴の小説中の端役の人間は、実に馬琴の同時代もしくは前後の、他の作者の作中には重要の位置を占める人物となって現われて居るのを見出すに難くありません。も一歩進めていって見れば、京伝や三馬や一九や春水は、常に馬琴が端役として冷遇した人物、即ちわ・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・ところが仲間に、よせやい、自分の首を絞めるものではないか、いゝ加減にやッつけて置けよとひやかされてしまった。すると、その労働者が、「馬鹿云え。政権一度われらの手に入らば、あすこはゲー・ペー・ウの本部になるんだ。そのために今から精々立派な・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・長く濃かった髪は灰色に変って来て、染めるに手数は掛かったが、よく手入していて、その額へ垂下って来るやつを掻上げる度に、若い時と同じような快感を覚えた。堅い地を割って、草の芽も青々とした頭を擡げる時だ。彼は自分の内部の方から何となく心地の好い・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・シャッチョコ張って、御不浄の戸を閉めるのにも気をつけて、口をきゅっと引きしめ、伏眼で廊下を歩き、郵便屋さんにもいい笑い声を使ってしとやかに応対するのですけれど、あたしは、やっぱり、だめなの。朝御飯のおいしそうな食卓を見ると、もうすっかりあの・・・ 太宰治 「俗天使」
・・・おどろおどろ神々の怒りの太鼓の音が聞えて、朝日の光とまるっきり違う何の光か、ねばっこい小豆色の光が、樹々の梢を血なま臭く染める。陰惨、酸鼻の気配に近い。 鶴は、厠の窓から秋のドオウンの凄さを見て、胸が張り裂けそうになり、亡者のように顔色・・・ 太宰治 「犯人」
・・・誰だか言った、電車で女を見るのは正面ではあまりまばゆくっていけない、そうかと言って、あまり離れてもきわだって人に怪しまれる恐れがある、七分くらいに斜に対して座を占めるのが一番便利だと。男は少女にあくがれるのが病であるほどであるから、むろん、・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・木の皮を煮てかせ糸を染めることまで自分でやるのを道楽にしていたようである。純粋な昔ふうのいわゆる草木染めで、化学染料などの存在はこの老人の夢にも知らぬ存在であった。この老人の織ったふとん地が今でもまだ姉の家に残っているが、その色がちっともあ・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・ ついでながら、自分のような門外漢がこの講座のこの特殊項目に筆を染めるという僣越をあえてするに至った因縁について一言しておきたいと思う。元来映画の芸術はまだ生まれてまもないものであってその可能性については、従来相当に多数な文献があるにも・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・作も曲線的弾性的であるのに対してマックの方は直線的機械的なように見え、また攻勢防勢の駈引も前者の方がより多く複雑なように見えたので、自分は前に見たベーアとカルネラとの試合と比較して、ロスが最後の勝利を占めるのではないかと想像していた。ところ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
出典:青空文庫