・・・ 元来わたくしの身には遵奉すべき宗旨がなかった。西洋人をして言わしめたら、無神論者とか、リーブル・パンサウールとか称するものであろう。毎年十二月になると東京の町々には耶蘇降誕祭の贈物を売る商品の広告が目につく。基督教の洗礼をだに受けたこ・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・かほどに多くの学生から尊敬される先生は、日本の学生に対して終始渝らざる興味を抱いて、十八年の長い間哲学の講義を続けている。先生が疾くに索寞たる日本を去るべくして、いまだに去らないのは、実にこの愛すべき学生あるがためである。 京都の深田教・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・「あの本はね、大変善くできているのですがね、どうも作者の宗旨が何だか分らないのですよ。私の知っている者なんか皆んなコレリの宗旨は何だろうって噂していますよ」とますます向側の婦人に聞えよがしである。自分だって読んだ事もないのに鉄道馬車の中なん・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・たとえば世に、商売工業の議論あり、物産製作の議論あり、華士族処分の議論あり、家産相続法の議論あり、宗旨の得失を論ずる者あり、教育の是非を議する者あり、学校設立の説を述る者あり、文字改革の議を発する者あり。 いずれも皆、国の文明のために重・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・無偏・無党の帝室は、帝国の全面を照らして、そのいずれに厚からず、またいずれに薄からず、帝室より降臨すれば、政治の社会も学問の社会も、宗旨も道徳も技芸も農商も、一切万事、要用ならざるものなし。いやしくもこれらの事項について抜群の人物あれば、す・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・世の中には宗旨を信心して未来を祈る者あり。その目的は死後に極楽に往生していわゆる「パラダイス」の幸福を享けんとの趣意ならん。深謀遠慮というべし。されども不良の子に窘しめらるるの苦痛は、地獄の呵嘖よりも苦しくして、然も生前現在の身を以てこの呵・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・ そもそも今日の社会に、いわゆる宗旨なり、徳教なり、政治なり、経済なり、その所論おのおの趣を一にせずして、はなはだしきは相互に背馳するものもあるに似たれども、平安の一義にいたりては相違うなきを見るべし。宗旨・徳教、何のためにするや。善を・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・就中彼らは耶蘇教の人なるが故に、己れの宗旨に同じからざる者を見れば、千百の吟味詮索は差置き、一概にこれを外教人と称して、何となく嫌悪の情を含み、これがために双方の交情を妨ぐること多きは、誠に残念なる次第にして、我輩は常にその弁明に怠らず。日・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・前人の句またこの語を用いたるものなきにあらねど、そは終止言として用いたるが多きように見ゆ。蕪村のはことさらに終止言ならぬ語を用いて余意を永くしたるなるべし。をさな子の寺なつかしむ銀杏かな「なつかしむ」という動詞を用いたる例ありや否や・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・そうすると坊さんが言うには「今のお話しのうちの意志の自由を打消すという事は吾々の宗旨で平生いう所の他力信心に似て居る」というた。〔『ホトトギス』第五巻第七号 明治35・4・20 一〕○おとどしの春黙語氏の世話で或人の庭に捨ててあ・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
出典:青空文庫