・・・「技巧などは修辞学者にも分る。作の力、生命を掴むものが本当の批評家である。」と云う説があるが、それはほんとうらしい嘘だ。作の力、生命などと云うものは素人にもわかる。だからトルストイやドストエフスキイの翻訳が売れるのだ。ほんとうの批評家にしか・・・ 芥川竜之介 「江口渙氏の事」
・・・しかし修辞につりこまれなければ、どちらがほんとうの「正義の敵」だか、滅多に判然したためしはない。 日本人の労働者は単に日本人と生まれたが故に、パナマから退去を命ぜられた。これは正義に反している。亜米利加は新聞紙の伝える通り、「正義の敵」・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・しかし芸術は民衆の中に必ず種子を残している。わたしは大正十二年に「たとい玉は砕けても、瓦は砕けない」と云うことを書いた。この確信は今日でも未だに少しも揺がずにいる。 又 打ち下ろすハンマアのリズムを聞け。あのリズムの存す・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・の一人息子に英語と漢文と習字とを習った。が、どれも進歩しなかった。ただ英語はTやDの発音を覚えたくらいである。それでも僕は夜になると、ナショナル・リイダアや日本外史をかかえ、せっせと相生町二丁目の「お師匠さん」の家へ通って行った。It is・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・仁右衛門は農場に帰るとすぐ逞しい一頭の馬と、プラオと、ハーローと、必要な種子を買い調えた。彼れは毎日毎日小屋の前に仁王立になって、五カ月間積り重なった雪の解けたために膿み放題に膿んだ畑から、恵深い日の光に照らされて水蒸気の濛々と立上る様を待・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・一つの種子の生命は土壌と肥料その他唯物的の援助がなければ、一つの植物に成育することができないけれども、そうだからといって、その種子の生命は、それが置かれた環境より価値的に見て劣ったものだということができないのと同じことだ。 しかるに空想・・・ 有島武郎 「想片」
・・・けれども苦辛というは修辞一点張であったゆえ、私の如きは初めから少しも感服しないで明らさまに面白くないというと、頗る不平で、「君も少し端唄の稽古でもし玉え、」と面白くない顔をした。緑雨のデリケートな江戸趣味からは言文一致の飜訳調子の新文体の或・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・殊に蜜柑と樽柿が好物で、見る間に皮や種子を山のように積上げ、「死骸を見るとさも沢山喰ったらしくて体裁が宜くない、」などと云い云い普通の人が一つ二つを喰う間に五つも六つもペロペロと平らげた。 が、贅沢は食物だけであって、衣服や道具には極め・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・極端にいえば、思想さえ思う存分に発現する事が出来るなら方式や修辞は革命家の立場からはドウでも宜かるべきはずである。二葉亭も一つの文章論としては随分思切った放胆な議論をしていたが、率ざ自分が筆を執る段となると仮名遣いから手爾於波、漢字の正訛、・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・これも私は丁度同時にバージーンの修辞学を或る外国人から授かって、始終講義を聞いていた故、確かにその一部をバージーンから得たらしき『小説神髄』を余りに驚かなかったが、シカシ例証として日本の作物を挙げて論じられた処は面白くも読みかつまたお庇で蒙・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
出典:青空文庫