・・・と、じれッたそうに廊下を急歩で行くのは、当楼の二枚目を張ッている吉里という娼妓である。「そんなことを言ッてなさッちゃア困りますよ。ちょいとおいでなすッて下さい。花魁、困りますよ」と、吉里の後から追い縋ッたのはお熊という新造。 吉里は・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・然りといえども、余輩が今ここにいうところの政の字は、その意味のもっとも広きものにして、ただ政府の官員となり政府の役所に坐して事を商議施行するのみをもって、政にかかわるというに非ず。人民みずから自家の政に従事するの義を旨とするものなり。 ・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・たとえば大関が相撲最上の長者なれば、九段は碁将棋最上の長者にして、その長者たるや、一等官が政事の長者たるに異ならざるなり。 されば、生れながらにして学に志し、畢生の精神を自身の研究と他人の教導とに用いて、その一方に長ずる者は、学問社会の・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・明治四年廃藩のころ、中津の旧官員と東京の慶応義塾と商議の上、旧知事の家禄を分ち旧藩の積金と合して洋学の資本となして、中津の旧城下に学校を立ててこれを市学校と名けたり。学校の規則もとより門閥貴賤を問わずと、表向の名に唱るのみならず事実にこの趣・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・殖産に不適当なる人物なれば、いかなる卓識の先生も、いかなる専門芸能の学士も、碁客将棋師に等しくして、とても一家の富を起すに足らず。一家富まざれば一国富むの日あるべからず。教育の目的、齟齬したるものというべし。 日本の教育がなにゆえにかく・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・の芸妓を集め、大いに歌舞を催して一覧に供し、来賓も興に入りて満足したりとの事なりしが、実をいえばその芸妓なる者は大抵不倫の女子にして、歌舞の芸を演ずるの傍ら、往々言うべからざる醜行に身を汚し、ほとんど娼妓に等しき輩なれば、固より貴人の前に面・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・指南車を胡地に引き去るかすみかな閣に坐して遠き蛙を聞く夜かな祇や鑑や髭に落花を捻りけり鮓桶をこれへと樹下の床几かな三井寺や日は午に逼る若楓柚の花や善き酒蔵す塀の内耳目肺腸こゝに玉巻く芭蕉庵採蓴をうたふ彦根・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・近き将来、各国から委員が集って充分商議の上厳重に処罰されるのはわかり切ったことである。又この事実は、ビジテリアンたちの主張が、畢竟自家撞着に終ることを示す。則ちビジテリアンは動物を愛するが故に動物を食べないのであろう。何が故にその為に食物を・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 長い木のテーブルに、何人もかけられるような床几がおいてある。みんなは学級順に年下の者を前にして腰をかける。大きい角テーブルがあって、そこにアルミニュームの鉢、サジなどがキレイにうんと積み重ねてある。 私たちは、一番年下の級の子供た・・・ 宮本百合子 「従妹への手紙」
・・・ 工場クラブの広間には床几が並んでいる。赤い布のかかったテーブルがある。 ぞくぞく陽気な婦人労働者が入って来た。てんでに床几へかける。メーラがジャケットのポケットへ両手を突こんで、やって来て、赤い布のかかったテーブルの前へ坐った。・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
出典:青空文庫