・・・とにかく、諸方にあるそうです。それが皆、我々の真似だそうだから、可笑しいじゃありませんか。」 藤左衛門と忠左衛門とは、顔を見合せて、笑った。復讐の挙が江戸の人心に与えた影響を耳にするのは、どんな些事にしても、快いに相違ない。ただ一人内蔵・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・慎太郎には薄い博士の眉が、戸沢の処方を聞いた時、かすかに動いたのが気がかりだった。 しかしその話が一段落つくと、谷村博士は大様に、二三度独り頷いて見せた。「いや、よくわかりました。無論十二指腸の潰瘍です。が、ただいま拝見した所じゃ、・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ていたが、そのシメオンの口から、当時の容子が信徒の間へ伝えられ、それがまた次第に諸方へひろまって、ついには何十年か後に、この記録の筆者の耳へもはいるような事になったのである。もし筆者の言をそのまま信用すれば「ふらんしす上人さまよえるゆだやび・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・われらが寝所には、久遠本地の諸法、無作法身の諸仏等、悉く影顕し給うぞよ。されば、道命が住所は霊鷲宝土じゃ。その方づれ如き、小乗臭糞の持戒者が、妄に足を容るべきの仏国でない。」 こう云って阿闍梨は容をあらためると、水晶の念珠を振って、苦々・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・るが最後、個々の行動を取って進めという命令が、敵に悟られん様に、聨隊長からひそかに、口渡しで、僕等に伝えられ、僕等は今更電気に打たれた様に顫たんやが、その日の午後七時頃、いざと一同川を飛び出すと、生憎諸方から赤い尾を曳いて光弾があがり、花火・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・随って手洗い所が一番群集するので、喜兵衛は思附いて浅草の観音を初め深川の不動や神田の明神や柳島の妙見や、その頃流行った諸方の神仏の手洗い所へ矢車の家紋と馬喰町軽焼淡島屋の名を染め抜いた手拭を納めた。納め手拭はいつ頃から初まったか知らぬが、少・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ドコの百姓が下らぬ低級の落語に見っともない大声を出して笑うのかと、顧盻って見ると諸方の演説会で見覚えの島田沼南であった。例の通りに白壁のように塗り立てた夫人とクッつき合って、傍若無人に大きな口を開いてノベツに笑っていたが、その間夫人は沼南の・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・こうして諸方を歩いて、食べるものや、着るものをもらって歩く人間なのでございます。」と答えました。 お姫さまは、その話を聞いていられる間に、幾たび、びっくりなされたかしれません。そして、この女が、乞食であることをはじめてお知りになりました・・・ 小川未明 「お姫さまと乞食の女」
・・・ただ足利将軍の廃立をしたり、諸方の戦をしたりしていた。今は政元の伝を筆にしたのではない。 政元より後に飯綱の法を修した人には面白い人がある。それは政元よりも遥に立派な人である。 関白、内大臣、藤原氏の氏の長者、従一位、こういう人が飯・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・大内は西国の大大名で有った上、四国中国九州諸方から京洛への要衝の地であったから、政治上交通上経済上に大発達を遂げて愈々殷賑を加えた。大内は西方智識の所有者であったから歟、堺の住民が外国と交商して其智識を移し得たからである歟、我邦の城は孑然と・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
出典:青空文庫