・・・この瀑のところを削ったもんだ。この浸蝕の柔らかさ。もう平らだ。そうだ。いつかもここを溯って行った。いいや、此処じゃない。けれどもずいぶんよく似ているぞ。川の広さも両岸の崖、ところどころの洲の青草。もう平らだ。みんな大分溯ったな。・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・ 実際彼女は疲れ切って居たのです。 けれ共彼女の身動きもしない様に落着いて居る傍には漸々病の攻めから幾分ずつ逃れられて来た希望に満ちた美くしい子が安らかな眠りに落ちて居ます。 寝食を忘れて愛子を取り守って居る母親は喜ばしい安心に・・・ 宮本百合子 「二月七日」
・・・これまでも我々は只お前と寝食を共にすると云うだけで、給料と云うものも遣らず、名のみ家来にしていたのに、お前は好く辛抱して勤めてくれた。しかしもう日本全国をあらかた遍歴して見たが、敵はなかなか見附からない。この按排では我々が本意を遂げるのは、・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・あたかもそれは、ナポレオンの軍馬が破竹のごとくオーストリアの領土を侵蝕して行く地図の姿に相似していた。――この時からナポレオンの奇怪な哄笑は深夜の部屋の中で人知れず始められた。 彼の田虫の活動はナポレオンの全身を戦慄させた。その活動の最・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫