・・・私は同時に頭をやられたが、然し今度は私の襲撃が成功した。相手は鼻血をタラタラ垂らしてそこへうずくまってしまった。 私は洗ったように汗まみれになった。そして息切れがした。けれども事件がここまで進展して来た以上、後の二人の来ない中に女を抱い・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・私もしばしば試みたけれども、十数回のうちで、たった一度しか成功しなかった。 響灘は玄海灘とつづいているが、白島付近は魚と貝類の宝庫だ。そこへ二、三年前、一月の寒い風に吹かれながら、ソコブク釣りに出かけた。河豚のおいしいのは十二月から一月・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・事は新発明新工夫に非ず。成功の時機正に熟するものなり。一 言葉を慎みて多すべからず。仮にも人を誹り偽を言べからず。人の謗を聞ことあらば心に納て人に伝へ語べからず。譏を言伝ふるより、親類とも間悪敷なり、家の内治らず。 ・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ また今の学者を見るに、維新以来の官費生徒はこれを別にし、天保年間より、漢学にても洋学にても学問に志して、今日国の用をなす者は、たいがい皆私費をもって私塾に入り、人民の学制によって成業したる者多し。今日においても官学校の生徒と私学校の生・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・そもそも文字の意味を広くしていえば、政治もまた学問中の一課にして、政治家は必ず学者より出で、学校は政談家を生ずるの田圃なれども、学校の業成るの日において、その成業の人物が社会の人事にあたるに及びては、おのおのその赴くところを異にせざるをえず・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・ たとえば今ここに一種の学校を設けて、まったく経世の学を禁じ、政治・経済の書を禁じ、また歴史をも禁じて、生徒を養うこと数年の後は必ず成業にいたらん。その時において、生徒の所得は理学・徳学にして、純然たる良民たる者ならん。然るに、この良民・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・併し、私が苦心をした結果、出来損ったという心持を呑み込んで、此処が失敗していると指摘した者はなく、また、此処は何の位まで成功したと見て呉れた者もなかった。だから、誉められても標準に無交渉なので嬉しくもなければ、譏られても見当違いだから、何の・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・こうは申しますが、実はあんな夢のような御成功が無くたって、大切なる友よ、わたくしはあなたの事を思わずにはいられませんのでした。御覧なさい。あなたをお呼掛け申しまする、お心安立ての詞を、とうとう紙の上に書いてしまいました。あれを書いてしまいま・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・その成功はともかくも、その著眼の高きことは争うべからず。 曙覧は擬古の歌も詠み、新様の歌も詠み、慷慨激烈の歌も詠み、和暢平遠の歌も詠み、家屋の内をも歌に詠み、広野の外をも歌に詠み、高山彦九郎をも詠み、御魚屋八兵衛をも詠み、侠家の雪も詠み・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・下山事件は、新しい日本のファシズムが人民の感情を混乱においこみ、だんだんに迷わせて、正当な抵抗の発現をそぐという手段の成功した例です。「進歩」ということは、こんにちの社会情勢について、国際情勢について、もっとも多くの知識をもち、歴史的見・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
出典:青空文庫