・・・その又顔はどう云う訳か、少しも生気のない灰色をしている。僕はいつか西廂記を読み、土口気泥臭味の語に出合った時に忽ち僕の母の顔を、――痩せ細った横顔を思い出した。 こう云う僕は僕の母に全然面倒を見て貰ったことはない。何でも一度僕の養母とわ・・・ 芥川竜之介 「点鬼簿」
・・・ 獣医の心得もある蹄鉄屋の顔を群集の中に見出してようやく正気に返った仁右衛門は、馬の始末を頼んですごすごと競馬場を出た。彼れは自分で何が何だかちっとも分らなかった。彼れは夢遊病者のように人の間を押分けて歩いて行った。事務所の角まで来ると・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ フレンチが正気附いたのは、誰やらが袖を引っ張ってくれたからであった。万事済んでしまっている。死刑に処せられたものの刑の執行を見届けたという書きものに署名をさせられるのであった。 茫然としたままで、フレンチは署名をした。どうも思慮を・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・ 萎れた草花が水を吸い上げて生気を得たごとく、省作は新たなる血潮が全身にみなぎるを覚えて、命が確実になった心持ちがするのである。「失態も糸瓜もない。世間の奴らが何と言ったって……二人の幸福は二人で作る、二人の幸福は二人で作る、他人の・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・刈り取られた黍畑や赤はげの小山を超えて、およそ二千メートル後方の仮繃帯場へついた時は、ほッと一息したまま、また正気を失てしもた。そこからまた一千メートル程のとこに第○師団第二野戦病院があって、そこへ転送され、二十四日には長嶺子定立病院にあっ・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ツイ昨年易簀した洋画界の羅馬法王たる黒田清輝や好事の聞え高い前の暹羅公使の松方正作の如きもまた早くから椿岳を蒐集していた。が、椿岳の感嘆者また蒐集家としては以上の数氏よりも遅れているが、最も熱心に蒐集したのは銀座の天居であった。天居といって・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
二十五年という歳月は一世紀の四分の一である。決して短かいとは云われぬ。此の間に何十人何百人の事業家、致富家、名士、学者が起ったり仆れたりしたか解らぬ。二十五年前には大外交家小村侯爵はタシカ私立法律学校の貧乏講師であった。英雄広瀬中佐は・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・『八犬伝』の本道は大塚から市川・行徳雨窓無聊、たまたま内子『八犬伝』を読むを聞いて戯れに二十首を作る橋本蓉塘 金碗孝吉風雲惨澹として旌旗を捲く 仇讎を勦滅するは此時に在り 質を二君に委ぬ原と恥づる所 ・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・しかして十九世紀の末に当って彼らはいまだなおその祖先の精神を失わなかったのであります。ダルガス、齢は今三十六歳、工兵士官として戦争に臨み、橋を架し、道路を築き、溝を掘るの際、彼は細かに彼の故国の地質を研究しました。しかして戦争いまだ終らざる・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・ すべての空想が、その華麗な花と咲くためには、豊饒の現実を温床としなければならぬごとく、現実に発生しない童話は、すでに生気を失ったものです。過去のお伽噺が、その当時の生活、経験に調和して生れたものであるなら、新しい童話は、今日の生活から・・・ 小川未明 「新童話論」
出典:青空文庫