たかのいわさぶろう【高野岩三郎】
[1871〜1949]統計学者・社会問題研究家。長崎の生まれ。房太郎の弟。大原社会問題研究所所長。第二次大戦後は、日本社会党顧問・日本放送協会会長。
たかのすじゅう【高野素十】
[1893〜1976]俳人。茨城の生まれ。本名、与巳 (よしみ) 。高浜虚子に師事し、「ホトトギス」で活躍。句集「初鴉」「雪片」など。
たかのたつゆき【高野辰之】
[1876〜1947]国文学者。長野の生まれ。東京音楽学校・大正大学教授。上田万年に師事。歌謡・演劇史を研究。著「日本歌謡史」「日本歌謡集成」「日本演劇史」など。
たかのちょうえい【高野長英】
[1804〜1850]江戸末期の蘭学者。陸奥 (むつ) 国水沢の人。名は譲 (ゆずる) 、のち長英。号、瑞皐 (ずいこう) 。長崎でシーボルトの鳴滝塾に学び、江戸で開業。渡辺崋山らと尚歯会を組織、開港論を唱えて投獄されたが脱走。沢三伯と称して江戸に潜入、医療・訳述に専念したが、幕吏に襲われて自殺。著「夢物語」ほか、蘭書の翻訳も多い。
たかのふさたろう【高野房太郎】
[1869〜1904]労働運動家。長崎の生まれ。岩三郎の兄。渡米して職工義友会を組織。ゴンパーズの知己を得、AFL(米国労働総同盟)のオルグとして明治29年(1896)帰国。明治30年(1897)、片山潜らと労働組合期成会を結成。また、消費組合である共栄社を設立。
たかのらんてい【高野蘭亭】
[1704〜1757]江戸中期の漢詩人。江戸の人。名は惟馨。字 (あざな) は子式。17歳で失明。荻生徂徠 (おぎゅうそらい) の門人。著「蘭亭詩集」。