・・・ 社会主義的リアリズムの問題の提起は、我が国左翼文学理論に実質上大なる前進を可能ならしめた。蔵原惟人、この著の筆者などの諸論中に、方向においては正しく而も哲学と芸術との特殊性における分別においては明徹を欠いて示されていた世界観と創作方法・・・ 宮本百合子 「『文芸評論』出版について」
・・・サークル活動が種々の問題を提起しているし、民主主義文学の成長の基盤が漠然と人民的とか労働者生活とかいわれている折から、世界の民主主義文学が歴史的な発展の足がかりとしてきた通信員の問題について特にみなさんの研究を求めたいと思っています。〔一九・・・ 宮本百合子 「平和運動と文学者」
・・・最近の定期大会では、世界平和の確保のために一層具体的な活動をすることと、児童のための活動が決定され、秋ごろにアジアの植民地、隷属国における婦人の大会が持たれることにきまった。 第二次大戦の歴史のなかで、日本の婦人の立場は、日本婦人自身に・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・ 定期刊行の雑誌のようなものがペンクラブによって国際的に発行されることも、文学に携るものにとって大きいよろこびであり、資料となるにちがいない。国際ペンクラブが世界各国から、それぞれの国及その植民地で発売又は輸入を禁ぜられている書籍目録を・・・ 宮本百合子 「ペンクラブのパリ大会」
・・・そしてちょうど私の行った時最終日であった有名なニージュニの定期市――ゴーリキイが十代の時分この定期市の芝居で馬の脚をやったということのある定期市も、その一九二八年が最後で閉鎖された。ペルシャやカスピ海沿岸との通商関係は進歩して古風な酔どれだ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」
・・・耳に鉛筆を挾み、長い髪をした主人が、或る日、両手に厚紙の巻いたのと、鉛筆、曲尺、定規とをもってゴーリキイの居場所である台処へやって来た。「ナイフ磨きがすんだら、これを描いて御覧」 手本の紙には、沢山の窓と優美な飾のついた二階建の家の・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・ヴォルガ通いの汽船の皿洗いをし、聖画屋の小僧となり、ニージニの定期市での芝居小屋で、馬の脚的俳優となったりした。日本では西南の役があった次の年、一八七八年からの五、六年は少年ゴーリキイにとって朝から晩まで苦しい労働の時代であった。この時代、・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・ニージュニノヴゴロド市は昔からの定期市の他に、現代ではСССР第一の自動車製造工場で有名になった。そこで製作されるソヴェト・フォードは、小さい赤旗をヘッド・ライトの上にひるがえしつつソユーズキノ週報で先ず映画館の映写幕の上にころがり、つづい・・・ 宮本百合子 「モスクワの辻馬車」
・・・ この製図工見習もものにならず、ゴーリキイはその後汽船につとめ、日本でいえば仏師屋のような聖像作りの仕事場で働き、人夫頭となり、ニージュニの市で毎年開かれる定期市の芝居小屋で馬の足までつとめた。 彼のまわりはどっちを見ても無智と当て・・・ 宮本百合子 「逝けるマクシム・ゴーリキイ」
・・・たしかにイギリス人は公共慈善事業への応分の寄附は、犬一匹飼えば七シリング六ペンスの税を払わなければならないと同様定期支出の一部と認める伝統をもって来た。しかし本来の性質上その英国に於てさえ慈善心の発動にはいかに技巧的な絶間ない刺戟が必要かと・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
出典:青空文庫