・・・ その内に更紗の窓掛けへ、おいおい当って来た薄曇りの西日が、この部屋の中の光線に、どんよりした赤味を加え始めた。と同時に大きな蠅が一匹、どこからここへ紛れこんだか、鈍い羽音を立てながら、ぼんやり頬杖をついた陳のまわりに、不規則な円を描き・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・大寺院はどんより曇った空にやはり高い塔や円屋根を無数の触手のように伸ばしています。なにか沙漠の空に見える蜃気楼の無気味さを漂わせたまま。……一五 それからかれこれ一週間の後、僕はふと医者のチャックに珍しい話を聞きました。とい・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ 彼は浮かない顔をしながら、どんよりと曇った高台の景色を硝子戸越しに眺めていた。「僕は近々上海の通信員になるかも知れない。」 彼の言葉は咄嗟の間にいつか僕の忘れていた彼の職業を思い出させた。僕はいつも彼のことをただ芸術的な気質を・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・僕はどんより曇っているせいか、何をする気もなかったものですから、池のある庭へおりて行きました。するとM子さんのお母さんが一人船底椅子に腰をおろし、東京の新聞を読んでいました。M子さんはきょうはK君やS君と温泉宿の後ろにあるY山へ登りに行った・・・ 芥川竜之介 「手紙」
・・・枯蘆の根にはすすけた泡がかたまって、家鴨の死んだのがその中にぶっくり浮んでいた。どんよりと濁った沼の水には青空がさびついたように映って、ほの白い雲の影が静かに動いてゆくのが見える。 対岸には接骨木めいた樹がすがれかかった黄葉を低れて力な・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・出て見ると、空はどんよりと曇って、東の方の雲の間に赤銅色の光が漂っている、妙に蒸暑い天気でしたが、元よりそんな事は気にかける余裕もなく、すぐ電車へ飛び乗って、すいているのを幸と、まん中の座席へ腰を下したそうです。すると一時恢復したように見え・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
橋場の玉川軒と云う茶式料理屋で、一中節の順講があった。 朝からどんより曇っていたが、午ごろにはとうとう雪になって、あかりがつく時分にはもう、庭の松に張ってある雪よけの縄がたるむほどつもっていた。けれども、硝子戸と障子と・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・店の中はどんよりと暗く湿っていた。仁右衛門は暗い顔をして唾をはき捨てながら、焚火の座に割り込んで黙っていた。ぴしゃぴしゃと気疎い草鞋の音を立てて、往来を通る者がたまさかにあるばかりで、この季節の賑い立った様子は何処にも見られなかった。帳場の・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・全体が薄樺で、黄色い斑がむらむらして、流れのままに出たり、消えたり、結んだり、解けたり、どんよりと濁肉の、半ば、水なりに透き通るのは、是なん、別のものではない、虎斑の海月である。 生ある一物、不思議はないが、いや、快く戯れる。自在に動く・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ 辻の、この辺で、月の中空に雲を渡る婦の幻を見たと思う、屋根の上から、城の大手の森をかけて、一面にどんよりと曇った中に、一筋真白な雲の靡くのは、やがて銀河になる時節も近い。……視むれば、幼い時のその光景を目前に見るようでもあるし、また夢・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
出典:青空文庫