・・・嗅ぐさ、お前さん、べろべろと舐める。目から蝋燭の涙を垂らして、鼻へ伝わらせて、口へ垂らすと、せいせい肩で呼吸をする内に、ぶるぶると五体を震わす、と思うとね、横倒れになったんだ。さあ、七顛八倒、で沼みたいな六畳どろどろの部屋を転摺り廻る……炎・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・あの女は羨しいと思いますと、お腹の裡で、動くのが、動くばかりでなくなって、もそもそと這うような、ものをいうような、ぐっぐっ、と巨きな鼻が息をするような、その鼻が舐めるような、舌を出すような、蒼黄色い顔――畜生――牡丹の根で気絶して、生死も知・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・これが鶯か、かなりやだと、伝統的にも世間体にも、それ鳥籠をと、内にはないから買いに出る処だけれど、対手が、のりを舐める代もので、お安く扱われつけているのだから、台所の目笊でその南の縁へ先ず伏せた。――ところで、生捉って籠に入れると、一時と経・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・と窪んで暗い、崕と石垣の間の、遠く明神の裏の石段に続くのが、大蜈蚣のように胸前に畝って、突当りに牙を噛合うごとき、小さな黒塀の忍び返の下に、溝から這上った蛆の、醜い汚い筋をぶるぶると震わせながら、麸を嘗めるような形が、歴然と、自分が瞳に映っ・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・壁も柱もまだ新しく、隙間とてもないのに、薄い霧のようなものが、すっと這入っては、そッと爪尖を嘗めるので、変にスリッパが辷りそうで、足許が覚束ない。 渠は壁に掴った。 掌がその壁の面に触れると、遠くで湯の雫の音がした。 聞き澄すと・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・奥座敷上段の広間、京間の十畳で、本床附、畳は滑るほど新らしく、襖天井は輝くばかり、誰の筆とも知らず、薬草を銜えた神農様の画像の一軸、これを床の間の正面に掛けて、花は磯馴、あすこいらは遠州が流行りまする処で、亭主の好きな赤烏帽子、行儀を崩さず・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 昼間、子供達が板を尻に当てて棒で揖をとりながら、行列して滑る有様を信子が話していたが、その切り通し坂はその傾斜の地続きになっていた。そこは滑石を塗ったように気味悪く光っていた。 バサバサと凍った雪を踏んで、月光のなかを、彼は美しい・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・いくら危険を感じていても、滑るに任せ止まるに任せる外はなかったのだった。 飛び下りる心構えをしていた脛はその緊張を弛めた。石垣の下にはコートのローラーが転がされてあった。自分はきょとんとした。 どこかで見ていた人はなかったかと、また・・・ 梶井基次郎 「路上」
一、堅く堅く志を立てること。およそ一芸に秀で一能に達するには、何事によらず容易なことではできない。それこそ薪に臥し胆を嘗めるほどの苦心がいるものと覚悟せねばならない。昔から名人の域に達した人が、どれほど苦しんだかとい・・・ 倉田百三 「芸術上の心得」
・・・しかしたちまちにして一ト歩は一ト歩より遅くなって、やがて立止まったかと見えるばかりに緩く緩くなったあげく、うっかりとして脱石に爪端を踏掛けたので、ずるりと滑る、よろよろッと踉蹌る、ハッと思う間も無くクルリと転ってバタリと倒れたが、すぐには起・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
出典:青空文庫