・・・何人であっても赤裸々たる自己の本体に立ち返り、一たび懸崖に手を撒して絶後に蘇った者でなければこれを知ることはできぬ、即ち深く愚禿の愚禿たる所以を味い得たもののみこれを知ることができるのである。上人の愚禿はかくの如き意味の愚禿ではなかろうか。・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・その各の人の装幀の価値に応じて、より浅く、またより深く、より自己に近く、また自己に遠く。 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・月琴の師匠の家へ石が投げられた、明笛を吹く青年等は非国民として擲られた。改良剣舞の娘たちは、赤き襷に鉢巻をして、「品川乗出す吾妻艦」と唄った。そして「恨み重なるチャンチャン坊主」が、至る所の絵草紙店に漫画化されて描かれていた。そのチャンチャ・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・ やがて道は墓地の辺にまで、二人の姿を吹くように導いた。 墓地の入り口まで先頭の人影が来ると、吹き消したように消えてしまった。安岡は同時に路面へ倒れた。 墓地の松林の間には、白い旗や提灯が、巻かれもしないでブラッと下がっていた。・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・しかし、ほんとうにおいしい河豚は、海底深くいる底河豚だ。河豚は一枚歯で、すごく力が強く貝殻でも食い割ってしまう。したがって、海底での貝の身をエサにしている河豚の味がよくなるわけだが、この河豚を釣るのはそう簡単ではない。ソコブクの一コン釣りと・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・ただ吉里の顔を見つめているのみであッたが、やがて涙は頬を流れて、それを拭く心もつかないでいた。「吉里さん」と、廊下から声をかけたのは小万である。「小万さん、まアお入りな」「どなたかおいでなさるんじゃアないかね」と、小万は障子を開・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・吉里の眼にはらはらと涙が零れると、平田はたまらなくなッてうつむいて、深く息を吐いて涙ぐんだ。 西宮は二人の様子に口の出し端を失い、酒はなし所在はなし、またもや次の間へ声をかけた。「おい、まだかい」「ああやッと出来ましたよ」と、小・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・口にシャボンを一切入れて、脣から泡を吹くのだ。ところが真に受ける奴は一人も無い。馬鹿にして笑ってけつかる。それにいつでも生憎手近に巡査がいて、おれの頸を攫んで引っ立てて行きゃあがった。それから盲もやってみた。する事の無い職人の真似もしてみた・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・人間たる者は和順、貞信、人情深くして心静なる可し。誠に申分なき教訓にして左こそありたきことなれども、此章に於ては特に之を婦人の一方に持込み、斯の如きは女の道に違うものなり、女の道は斯くある可しと、女ばかりを警しめ、女ばかりに勧むるとは、其意・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・かりに帝堯をして今日にあらしめなば、いかに素朴節倹なりといえども、段階に木石を用い、屋もまた瓦をもって葺くことならん。また徳川の時代に、江戸にいて奥州の物を用いんとするに、飛脚を立てて報知して、先方より船便に運送すれば、到着は必ず数月の後な・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
出典:青空文庫