・・・大将「これはなアフガニスタンでマラソン競争をやってとったのじゃ。」特務曹長「なるほど次はどれでありますか。」大将「もう二つしかないぞ。」特務曹長「もう二つで丁度いいようであります。」大将「何が。」特務曹長(烈「そうで・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・ペルシャやアフガニスタンはすぐ隣りだ。蒙古と国境がくっついている。その中に、二十五の人種が棲んでいる。ロシアとひとくちに云っても、例えば第十六回ロシア共産党大会のあった時分のモスクワの街を歩いて見る。 赤いネクタイのロシア人のピオニェー・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・フランス藍色の彼の服は襟がすり切れた。アフガニスタンからアマヌラハンが逃げる前 月六百留で医師を招聘して来た。残念なことに彼にはその時まだディプロマがなかった。―― 独逸の女子共産党員――がСССР女性生活について書いたものが 文芸戦線・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・ 一九二〇年から二二年にかけてレイスネルはアフガニスタンへ外交官として暮した。翌年はドイツへ。 レイスネルの、豊富な革命的活動の経験、見聞は、「アフガニスタン」「バリケードのハンブルグ」「ヒンデンブルグの国で」となって続々あらわれた・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
・・・すなわち、英国人の公平な勝負という標語もボート・レースやポローの競技場埒外では、アフガニスタンやパレスタインまで出ると怪しいもんだという懐疑を公然抱いているのだ。彼女は坐っている。 M氏は、 ――こないだも、あの有名な醤油の某々の息・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・彼の寝衣の背中に刺繍されたアフガニスタンの金の猛鳥は、彼を鋭い爪で押しつけていた。と、見る間に、ナポレオンの口の下で、大理石の輝きは彼の苦悶の息のために曇って来た。彼は腹の下の床石が温まり始めると、新鮮な水を追う魚のように、また大理石の新し・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・この時期にはガンダーラ地方からアフガニスタンにかけての全域に塑像が栄えたので、特にアフガニスタンのハッダなどからすばらしい遺品を出している。シナへのガンダーラ美術の影響を考えるとすれば、芸術的にあまり優れていると言えない初期の石像彫刻によっ・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫