・・・――そうして一体又あなたは、何を占ってくれろとおっしゃるんです?」「私が見て貰いたいのは、――」 亜米利加人は煙草を啣えたなり、狡猾そうな微笑を浮べました。「一体日米戦争はいつあるかということなんだ。それさえちゃんとわかっていれ・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・なぜ起立したのだか、フレンチには分からない。一体立たなくてはならなかったのか知らん。それともじっとして据わっていた方が好かったのか知らん。 一秒時の間、扉の開かれた跡の、四角な戸口が、半明半暗の廊下を向うに見せて、空虚でいた。そしてこの・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・もう少し気を広く持たなくちゃ可かんよ。一体君は余りアンビシャスだから可かん。何だって真の満足ってものは世の中に有りやしない。従って何だって飽きる時が来るに定ってらあ。飽きたり、不満足になったりする時を予想して何にもせずにいる位なら、生れて来・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・「気味の悪いことはないったって、一体変ね、帰る途でも言ったけれど、行がけに先刻、宿を出ると、いきなり踊出したのは誰なんでしょう。」「そりゃ私だろう。掛引のない処。お前にも話した事があるほどだし、その時の祭の踊を実地に見たのは、私だか・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・政さんは真顔になって、「おとよさんは本当にかわいそうだよ。一体おとよさんがあの清六の所にいるのが不思議でならないよ。あんまり悪口いうようだけど、清六はちとのろ過ぎるさ。親父だってお袋だってざま見さい。あれで清六が博打も打つからさ。おとよ・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・花の様な美しかった形はもうどこかに行ってしまった様になって野原の岩によりかかってミイラの様になって死んでしまった。一体女と云うものは一生たよるべき男は一人ほかないはずだのに其の自分の身持がわるいので出されて又、後夫を求める様になっては女も終・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・ 一体お前は何が出来るのだ?」「何でも出来る、わ」「第一、三味線は下手だし、歌もまずいし、ここから聴いていても、ただきゃアきゃア騒いでるばかりだ」「ほんとうは、三味線はきらい、踊りが好きだったの」「じゃア、踊って見るがいい」・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 淡島堂というは一体何を祀ったもの乎祭神は不明である。彦少名命を祀るともいうし、神功皇后と応神天皇とを合祀するともいうし、あるいは女体であるともいうが、左に右く紀州の加太の淡島神社の分祠で、裁縫その他の女芸一切、女の病を加護する神さまに・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
一 一体宗教というものが科学によって破壊されるものかどうかと云うことが疑問だ。科学によって破壊されるような宗教は宗教ではない。換言すれば、知識によって破壊されるような信仰は信仰ということが出来ない。私は人間の安心というものが科学によ・・・ 小川未明 「反キリスト教運動」
・・・上へ尻餅突いて、三味線の棹は折れる、清元の師匠はいい年して泣き出す、あの時の様子ったらなかったぜ、俺は今だに目に残ってる……だが、あんな元気のよかった父が死んだとは、何だか夢のようで本当にゃならねえ、一体何病気で死んだんだい?」「病気も・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫