・・・その者は、この五百人の会員全部に聞えるように、はっきりと、大きな声で返辞をしなさい。」 まことに奇特な人もあるものだ、その人は、いったい、どんな環境の人だろう、などと考えているうちに、名前が私の名だ。「はあい。」のどに痰がからまっていた・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・昭和二年には帝国学士院会員となった。 昭和六年の秋米国各大学における講演を頼まれて出張し、加州大学、スタンフォード大学、加州及びマサチュセッツのインスチチュート・オブ・テクノロジーその他で、講義、あるいは非公式談話をした。帰路仏国へ渡っ・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・三吉もそこへゆけば正進会員にならねばならないが、それが厭である。なぜ厭なのか、理論的にはよくわからぬけれど、厭なのである。 小野の上京以来、東京の空が急にせまくなった気がしている。――このうすよごれた町からほとんど出たことのない三吉は、・・・ 徳永直 「白い道」
・・・維新の後私塾を開いて生徒を教授し、後に東京学士会院会員に推挙せられ、ついで東京教育博物館長また東京図書館長に任ぜられ、明治十九年十二月三日享年六十三で歿した。秋坪は旧幕府の時より成島柳北と親しかったので、その戯著小西湖佳話は柳北の編輯する花・・・ 永井荷風 「上野」
・・・官庁及出版商に対する其等の手続は思うに当時博文館内に在った木曜会会員中の誰かが之をなしたのでもあろうか。会員の中押川春浪黒田湖山井上唖々梅沢墨水等の諸氏は既にこの世には居ない。拙著「あめりか物語」の著作権が何人の手に専有せられているかは、今・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・その名も主意も詳しい事は忘れてしまいましたが、何しろそれは国家主義を標榜したやかましい会でした。もちろん悪い会でも何でもありません。当時の校長の木下広次さんなどは大分肩を入れていた様子でした。その会員はみんな胸にめだるを下げていました。私は・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・仏蘭西の大学校にて、第一世ナポレオンはその学事会員たるを得たれども、第三世ナポレオンはついにこれを許されざりしという。同国にて学権の強大なること、もって証すべし。 我が日本国にても、政府の官職はただ在職中の等級のみにて、このほかに位階勲・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・美術学院の会員ですよ。」 狐の先生はいけませんというように手をふりました。「とにかく、紹介状はお持ちにならないですね。」「持ちません。」「よろしゅうございます。こちらへお出で下さい。ただ今丁度ひるのやすみでございますが、午后・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・門をはいると、すぐ受付があって私たちはみんな求められて会員証を示しました。これはいかにも偏狭なやり方のようにどなたもお考えでしょうが、実際今朝の反対宣伝のような訳で、どんなものがまぎれ込んで来て、何をするかもわからなかったのですから、全く仕・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
十月下旬行われた作家同盟主催の文学講習会のある夜、席上でたまたま「亀のチャーリー」が討論の中心となった。ある講習会員が「亀のチャーリー」をとりあげ、その作品は一般読者の間で評判がよく親しみをもって読まれたから、ああいう肩の・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
出典:青空文庫