・・・テエブルに並べられたビイル瓶が六本になれば、日本酒の徳利が十本になれば、私は思い出したようにふらっと立ちあがり、お会計、とひくく呟くのである。五円を越えることはなかった。私は、わざとほうぼうのポケットに手をつっこんでみるのだ。金の仕舞いどこ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・お会計して下さい。」笠井さんは、眼をつぶったままだった。まぶしく、おそろしく、眼をひらくことが、できなかった。このまま石になりたいと思った。「承知いたしました。」ゆきさんは、みじんも、いや味のない挨拶して部屋を去った。「見られたね。・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・時には会計官吏や書記や小使の用をつとめなければならない。好きな研究に没頭する時間を拾い出すのはなかなか容易でないのである。その上に肝心な研究費はいつでも蟻の涙くらいしか割当てられない。その苦しい世帯を遣り繰りして、許された時間と経費の範囲内・・・ 寺田寅彦 「学問の自由」
・・・ことにその間に庶務とか会計とかいう「純粋な役人」の系列が介在している場合はなおさら科学的方策の上下疎通が困難になる道理である。 具体的に言うことができないのは遺憾であるが、自分の知っている多数の実例において、科学者の目から見れば実に話に・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・どこかの昼食で甥が一、二杯自分より多く飯をくったら、その分だけ一銭多く取られた。会計は父の命令で自分の方でもつことになっていたので、甥がひどく悄気て困ったことを思い出す。恥かしい内証話である。 室戸岬が日本何景かの一つになってから観光客・・・ 寺田寅彦 「初旅」
・・・銭勘定は会計、受取は請求というのだったな。」 唖々子の戯るるが如く、わたしはやがて女中に会計なるものを命じて、倶に陶然として鰻屋の二階を下りると、晩景から電車の通らない築地の街は、見渡すかぎり真白で、二人のさしかざす唐傘に雪のさらさらと・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・お神さんの持って来た幸寿司で何も取らず、会計は祝儀を合せて二円二十三銭也。芝居の前でお神さんに別れて帰りに阿久と二人で蕎麦屋へ入った。歩いて東森下町の家まで帰った時が恰度夜の十二時。 かつて深川座のあった処は、震災後道路が一変してい・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・精細なる会計報告が済むと、今度は翌日の御菜について綿密な指揮を仰ぐのだから弱る」「見計らって調理えろと云えば好いじゃないか」「ところが当人見計らうだけに、御菜に関して明瞭なる観念がないのだから仕方がない」「それじゃ君が云い付ける・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・大に賛成する所なれども、我輩は今一歩を進め、婦人をして経済会計の主義技術を知らしめんことを祈る者なり。一家の経済は挙げて夫の自由自在に任せて妻は何事をも知らず、唯夫より授けられたる金を請取り之を日々の用度に費すのみにして、其金は自家の金か、・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・平時にも、もとより会計簿記の事あり。その事務、千緒万端、いずれも皆、戦隊外の庶務にして、その大切なるは戦務の大切なるに異ならず、庶務と戦務と相互に助けて、はじめて海陸軍の全面を維持するは、あまねく人の知るところならん。 然らばすなわち全・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
出典:青空文庫