・・・今この男女を接触せしめると、恋愛の伝わるのも伝熱のように、より逆上した男からより逆上していない女へ、両者の恋愛の等しくなるまで、ずっと移動をつづけるはずだろう。長谷川君の場合などは正にそうだね。……」「そおら、はじまった。」 長谷川・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・たとい嘘とは云うものの、ああ云う琵琶法師の語った嘘は、きっと琥珀の中の虫のように、末代までも伝わるでしょう。して見ればそう云う嘘があるだけ、わたしでも今の内ありのままに、俊寛様の事を御話しないと、琵琶法師の嘘はいつのまにか、ほんとうに変って・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・「まだ足りないで、燈を――燈を、と細い声して言うと、土からも湧けば、大木の幹にも伝わる、土蜘蛛だ、朽木だ、山蛭だ、俺が実家は祭礼の蒼い万燈、紫色の揃いの提灯、さいかち茨の赤い山車だ。」 と言う……葉ながら散った、山葡萄と山茱萸の夜露・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・…… 立淀んだ織次の耳には、それが二股から遠く伝わる、ものの谺のように聞えた。織次の祖母は、見世物のその侏儒の婦を教えて、「あの娘たちはの、蜘蛛庄屋にかどわかされて、そのこしもとになったいの。」 と昔語りに話して聞かせた所為であ・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・――奥路に名高い、例の須賀川の牡丹園の花の香が風に伝わるせいかも知れない、汽車から視める、目の下に近い、門、背戸、垣根。遠くは山裾にかくれてた茅屋にも、咲昇る葵を凌いで牡丹を高く見たのであった。が、こんなに心易い処に咲いたのには逢わなかった・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ おとよは今さらのごとく省作が恋しく、紅涙頬に伝わるのを覚えない。「省さんはどうしているかしら、手紙のやりとりばかりで心細くてしようがない。こうしてお家も見えているのに、兄さんは、二人一緒になると決心しろって、今でもそう思ってて下さ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・以前の緑雨なら艶聞の伝わる人を冷笑して、あの先生もとうとう恋の奴となりました、などと澄ました顔をしたもんだが、その頃の緑雨は安価な艶聞を得意らしく自分から臭わす事さえあった。 小田原へ引越してから一度上京したついでに尋ねてくれた。生憎留・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 忽ち、この噂が世間に伝わると、もはや誰も、山の上のお宮に参詣する者がなくなりました。こうして、昔、あらたかであった神様は、今は、町の鬼門となってしまいました。そして、こんなお宮が、この町になければいいのにと怨まぬものはなかったのであり・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
・・・ たちまち、このうわさが世間に伝わると、もはや、だれも、この山の上のお宮に参詣するものがなくなりました。こうして、昔、あらたかであった神さまは、いまは、町の鬼門となってしまいました。そして、こんなお宮が、この町になければいいものと、うら・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
・・・この話がだれからだれに伝わるとなく広がって、旅する人々はこの町を通ることをおそれました。そして、わざわざこの町を通ることを避けて、ほかのほうを遠まわりをしてゆくものもありました。 ケーは、人々のおそれるこの「眠い町」が見たかったのです。・・・ 小川未明 「眠い町」
出典:青空文庫