・・・もし旅人、疲れし足をこのほとりに停めしとき、何心なく見廻わして、何らの感もなく行過ぎうべきか。見かえればかしこなるは哀れを今も、七百年の後にひく六代御前の杜なり。木がらしその梢に鳴りつ。 落葉を浮かべて、ゆるやかに流るるこの沼川を、漕ぎ・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・四人の中にはそういう幻影かと思った者もあったでしょう、そこで自分たちが手を動かしたり身体を動かして見たところが、それには何らの関係がなかったと申します。 これでこの話はお終いに致します。古い経文の言葉に、心は巧みなる画師の如し、とござい・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・それは利休のウソのない、秀霊の趣味感から成立ったことで、何らその間にイヤな事もない、利休が佳とし面白しとし貴しとした物は、長えに真に佳であり面白くあり貴くある物であるのであるが、しかしまた一面には当時の最高有力者たる秀吉が利休を用い利休を尊・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・なぜならば、私の実行的人生に対する現下の実情は、何らの明確な理想をも帰結をも認め得ていないからである。人生の目的は何であろうか。われらが生の理想とすべきものは何であろうか。少しもわかっていない。 もちろんかような問題に関した学問も一通り・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・ただ一つの逸話として伝えられているのは、彼が五歳の時に、父から一つの羅針盤を見せられた事がある、その時に、何ら直接に接触するもののない磁針が、見えざる力の作用で動くのを見て非常に強い印象を受けたという事である。その時の印象が彼の後年の仕事に・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・こういう美しいものを見たときと見なかった時とで、その後に来る吾人の経験には何らのちがった反響がない訳にはゆかない。 展覧会で童女像を見た事と壷のアドヴェンチュアーとは一見何の関係もない事のようである。しかしこれを経験した私にとっては・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・そして若い時から兄夫婦に育てられていた義姉の姪に桂三郎という養子を迎えたからという断わりのあったときにも、私は別に何らの不満を感じなかった。義姉自身の意志が多くそれに働いていたということは、多少不快に思われないことはないにしても、義姉自身の・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・先生は海鼠腸のこの匂といい色といいまたその汚しい桶といい、凡て何らの修飾をも調理をも出来得るかぎりの人為的技巧を加味せざる天然野生の粗暴が陶器漆器などの食器に盛れている料理の真中に出しゃばって、茲に何ともいえない大胆な意外な不調和を見せてい・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・それらの新しい勢力は事実において日に日に土手や畠や河岸や蘆の茂りを取払って行きつつあるが、しかし何らの感化をも自分の心の上には及ぼさなかったのだ。黒煙を吐く煉瓦づくりの製造場よりも人情本の文章の方が面白く美しく、乃ち遥に強い印象を与えたがた・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・木は何の木か知らぬが細工はただ無器用で素朴であるというほかに何らの特色もない。その上に身を横えた人の身の上も思い合わさるる。傍らには彼が平生使用した風呂桶が九鼎のごとく尊げに置かれてある。 風呂桶とはいうもののバケツの大きいものに過ぎぬ・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
出典:青空文庫