・・・ 人々は信ずる処を失ってしまった。滅茶苦茶であった。虚無時代であった。恐怖時代であった。 棍棒は、剣よりもピストルよりも怖れられた。 生活は、農民の側では飢饉であった。検挙に次ぐ検挙であった。だが、赤痢ででもあるように、いくら掃・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・国の貴婦人が我国に来遊して日本の習俗を見聞する中に、妻妾同居云々の談を聞て初の程は大に疑いしが、遂に事実の実を知り得て乃ち云く、自分は既に証明を得たれども、扨帰国の上これを婦人社会の朋友に語るも容易に信ずる者なく、却て自分を目し虚偽を伝うる・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・けれども、ジュコーフスキー流にやると、成功すれば光彩燦然たる者であるが、もし失敗したが最後、これほど見じめなものはないのだから、余程自分の手腕を信ずる念がないとやりきれぬ。自分はさすがにそれほど大胆ではなかったので、どうも険呑に思われて断行・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・とにかくに蕪村が幾分か太祇に導かれし部分もあり得べきを信ずるなり。しかれども彼が師巴人に受くるところ多からざりしは、成功の晩年にありしを見て知るべし。履歴性行等 蕪村は摂津浪花に近き毛馬塘の片ほとりに幼時を送りしことその春風・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・なぜ修身がほんとうにわれわれのしなければならないと信ずることを教えるものなら、どんな質問でも出さしてはっきりそれをほんとうかうそか示さないのだろう。一千九百廿五年十月廿五日今日は土性調査の実習だった。僕は第二班の・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・最後に、鴎外は、外見には労苦の連続であった「お佐代さんが奢侈を解せぬ程おろかであったとは誰も信ずることが出来ない。また物質的にも、精神的にも、何物をも希求せぬほど恬澹であったとは誰も信ずることが出来ない。お佐代さんには慥に尋常でない望みがあ・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・たれもかれのために怒ってくれるものはなかった。そこでかれは糸の一条を語りはじめた。たれも信ずるものがない、みんな笑った。かれは道すがらあうごとに呼びとめられ、かれもまた知る人にあえば呼びとめてこの一条を繰り返し繰り返し語りて自分を弁解し、そ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・それでその恩に報いなくてはならぬ、その過ちを償わなくてはならぬと思い込んでいた長十郎は、忠利の病気が重ってからは、その報謝と賠償との道は殉死のほかないとかたく信ずるようになった。しかし細かにこの男の心中に立ち入ってみると、自分の発意で殉死し・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・無論荒誕のことを信ずる世の人だから夢を気にかけるのも無理ではない。思えば思うほど考えは遠くへ走って、それでなくてもなかなか強い想像力がひとしお跋扈を極めて判断力をも殺いた。早くここでその熱度さえ低くされるなら別に何のこともないが、なかなか通・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・彼らは自己の前にある物が右のごとき神秘な力の現われであることを信ずるほかはない。またそれを礼拝しないではいられない。 しかし真に彼らの感激を誘ったものはその偉大な美であった。もとより彼らは、当時の偶像の遺物を我々が芸術品として鑑賞するが・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
出典:青空文庫