・・・「明日と定まる仕合の催しに、後れて乗り込む我の、何の誰よと人に知らるるは興なし。新しきを嫌わず、古きを辞せず、人の見知らぬ盾あらば貸し玉え」 老人ははたと手を拍つ。「望める盾を貸し申そう。――長男チアーは去ぬる騎士の闘技に足を痛めて今な・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・集れる人々の中には、彼のつまらない生涯を臆面もなくくだくだと述べ立てたのに対して、嫌気を催したものもあったであろう、心窃に苦笑したものもあったかも知れない。しかし凹字形に並べられたテーブルに、彼を中心として暫く昔話が続けられた。その中、彼は・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・ 涎でも垂らすように、私の眼は涙を催しかけた。「馬鹿野郎!」 私は、力一杯怒鳴った。セコンドメイトの猫入らずを防ぐと同時に、私の欺され易いセンチメンタリズムを怒鳴りつけた。 倉庫は、街路に沿うて、並んで甲羅を乾していた。・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・ 鳶の頭と店の者とが八九人、今祝めて出て行ッたばかりのところで、小万を始め此糸初紫初緑名山千鳥などいずれも七八分の酔いを催し、新造のお梅まで人と汁粉とに酔ッて、頬から耳朶を真赤にしていた。 次の間にいたお梅が、「あれ危ない。吉里さん・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・、いずれも婦人の方を本にして論を立てたるものにして、今の婦人の有様を憐れみ、何とかして少しにてもその地位の高まるようにと思う一片の婆心より筆を下したるが故に、その筆法は常に婦人の気を引き立つるの勢いを催して、男子の方に筆の鋒の向かわざりしは・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ヘンリー・フォードが催したヨーロッパ早まわり競争に参加して、十日間に六千マイルを突破して一等になり、フォードより自動車を一台おくられたことがある。この早まわり競争の道づれも弟のクラウスであり、しかも早まわり記事を新聞におくり、あとから一冊に・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・「小石川区小日向台町何丁目何番地に新築落成して横浜市より引き移りし株式業深淵某氏宅にては、二月十七日の晩に新宅祝として、友人を招き、宴会を催し、深更に及びし為め、一二名宿泊することとなりたるに、其一名にて主人の親友なる、芝区南佐久間町何・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・栖方の学位論文通過の祝賀会を明日催したいから、梶に是非出席してほしい、場所は横須賀で少し遠方だが、栖方から是非とも梶だけは連れて来て貰いたいと依頼されたということで、会を句会にしたいという。句会の祝賀会なら出席することにして、梶は高田の誘い・・・ 横光利一 「微笑」
・・・雨を催している日の空気は、舟からこの海岸を手の届くように近く見せるのである。 我々は北国の関門に立っているのである。なぜというに、ここを越せばスカンジナヴィアの南の果である。そこから偉大な半島がノルウェエゲンの瀲や岩のある所まで延びてい・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・たちを訪ねていられるし、また井上、元良両先生の方でも、田中喜一、得能、紀平などの諸氏とともに、学士会で西田先生のために会合を催していられる。田中、得能、紀平などの諸氏は、当時東京大学の哲学の講師の候補者であったらしい。西田先生はその八月の末・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫