出典:青空文庫
・・・であろう、銀座の通で手を挙げれば、鉄道馬車が停るではなかろうか、も一つその上に笛を添えて、片手をあげて吹鳴らす事になりますと、停車場を汽車が出ますよ、使い処、用い処に因っては、これが人命にも関われば、喜怒哀楽の情も動かします。これをでかばち・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・また生活層によって、喜怒哀楽を異にする。それ等を、公平によって、書くことは不可能なことである。 都市労働者の生活は、これを最もよく知れる者によって書かれなければならない如く、農村の百姓の生活は、同じく体験あるものによって、始めて代弁され・・・ 小川未明 「純情主義を想う」
・・・手方のために、一円ずつ貯金して、五年後の昭和十五年三月二十一日午後五時五十三分、彼岸の中日の太陽が大阪天王寺西門大鳥居の真西に沈まんとする瞬間、鳥居の下で再会しよう』との誓約書を取りかわし、人生の明暗喜怒哀楽をのせて転々ところぶ人生双六の骰・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ このただ一枚の飛び石の面にだけでも、ほとんど数え切れない喜怒哀楽さまざまの追憶の場面を映し出すことができる。夏休みに帰省している間は毎晩のように座敷の縁側に腰をかけて、蒸し暑い夕なぎの夜の茂みから襲ってくる蚊を団扇で追いながら、両親を・・・ 寺田寅彦 「庭の追憶」
・・・その数々の線の一つずつには、線の両端に居る人間の過去現在未来の喜怒哀楽、義理人情の電流が脈々と流れている。何と驚くべき空間網ではないか。」 そういえば、それはそうであるが、何故にそれがそれほど有難いかはわれわれにはよくは分らない。これは・・・ 寺田寅彦 「年賀状」
・・・小児の喜怒哀楽を写す場合には勢客観的でなければならぬ。ここに客観的と云うは我を写すにあらず彼を写すという態度を意味するのである。この気合で押して行く以上はいかに複雑に進むともいかに精緻に赴くともまたいかに解剖的に説き入るとも調子は依然として・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・吾人の心裏に往来する喜怒哀楽は、それ自身において、吾人の意識の大部分を構成するのみならず、その発現を客観的にして、これをいわゆる物において認めた時にもまた大に吾人の情を刺激するものであります。けれどもこの刺激は前に述べた条件に基いて、ある具・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・半時なりとも死せる人の頭脳には、喜怒哀楽の影は宿るまい。空しき心のふと吾に帰りて在りし昔を想い起せば、油然として雲の湧くが如くにその折々は簇がり来るであろう。簇がり来るものを入るる余地あればある程、簇がる物は迅速に脳裏を馳け廻るであろう。ウ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・この霊魂を寝かして置いて混沌たる物事を、生きた事業や喜怒哀楽の花園に作り上げずにいて、それを今わしが口から聞くというのは、其方の罪じゃ。人というものは縛せられてもおり、またある機会にはその縛を解かれもするものじゃ。夢の中に泣いて苦労に疲れて・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・この梶の一瞬の感情には、喜怒哀楽のすべてが籠っていたようだった。便便として為すところなき梶自身の無力さに対する嫌悪や、栖方の世界に刃向う敵意や、殺人機の製造を目撃する淋しさや、勝利への予想に興奮する疲労や、――いや、見ないに越したことはない・・・ 横光利一 「微笑」