・・・ 二 位牌 僕の家の仏壇には祖父母の位牌や叔父の位牌の前に大きい位牌が一つあった。それは天保何年かに没した曾祖父母の位牌だった。僕はもの心のついた時から、この金箔の黒ずんだ位牌に恐怖に近いものを感じていた。 僕の・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・それが夕日の光を浴びて、大きな影を門へ落すと、じっと杜子春の顔を見ながら、「お前は何を考えているのだ」と、横柄に声をかけました。「私ですか。私は今夜寝る所もないので、どうしたものかと考えているのです」 老人の尋ね方が急でしたから・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
お前たちが大きくなって、一人前の人間に育ち上った時、――その時までお前たちのパパは生きているかいないか、それは分らない事だが――父の書き残したものを繰拡げて見る機会があるだろうと思う。その時この小さな書き物もお前たちの眼の前に現われ出・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ 掻垂れ眉を上と下、大きな口で莞爾した。「姉様、己の号外だよ。今朝、号外に腹が痛んだで、稲葉丸さ号外になまけただが、直きまた号外に治っただよ。」「それは困ったねえ、それでもすっかり治ったの。」と紅絹切の小耳を細かく、ちょいちょい・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ 時に、本堂へむくりと立った、大きな頭の真黒なのが、海坊主のように映って、上から三宝へ伸懸ると、手が燈明に映って、新しい蝋燭を取ろうとする。 一ツ狭い間を措いた、障子の裡には、燈があかあかとして、二三人居残った講中らしい影が映したが・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・を知ってる奴なら、いつか納まりがつくものだ、世の中に女房のいらねい人間許りは駄目なもんさ、白粉は三升許りも挽けた、利助もいつの間にか帰ってる、お町は白粉を利助に渡して自分は手軽に酒の用意をした、見ると大きな巾着茄子を二つ三つ丸ごと焼いて、う・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・と、僕は台どころの板敷きからあがって、大きな囲炉裡のそばへ坐った。 主人は尻はしょりで庭を掃除しているのが見えた。おかみさんは下女同様な風をして、広い台どころで働いていた。僕の坐ったうしろの方に、広い間が一つあって、そこに大きな姿見が据・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・牛ぼたるというのは、一種の大きなほたるでありました。それは、空に輝く、大きな青光りのする星を連想させるのであります。 その翌日でありました。「晩になったら、また、川へいって、牛ぼたるを捕ってこようね。」と、兄弟はいいました。 そ・・・ 小川未明 「海ぼたる」
・・・ 思わず声が大きくなり、醜態であった。「それが何の自慢になる」 海老原はマダムに色目を使いながら言った。私は黙った。口をひらけば「しかしあんたには十銭芸者の話は書けまい」と嫌味な言葉が出そうだったからだ。ひとつには、海老原の抱い・・・ 織田作之助 「世相」
・・・雑木と枯茅でおおわれた大きな山腹がその桑畑へ傾斜して来ていた。山裾に沿って細い路がついていた。その路はしばらくすると暗い杉林のなかへは入ってゆくのだったが、打ち展けた平地と大らかに明るい傾斜に沿っているあいだ、それはいかにも空想の豊かな路に・・・ 梶井基次郎 「闇の書」
出典:青空文庫