・・・それからまた嚢の口へ、厚い糸の敷物を編んで、自分はその上に座を占めながら、さらにもう一天井、紗のような幕を張り渡した。幕はまるで円頂閣のような、ただ一つの窓を残して、この獰猛な灰色の蜘蛛を真昼の青空から遮断してしまった。が、蜘蛛は――産後の・・・ 芥川竜之介 「女」
・・・ 立花は思わず、膝をついて、天井を仰いだが、板か、壁か明かならず、低いか、高いか、定でないが、何となく暗夜の天まで、布一重隔つるものがないように思われたので、やや急心になって引寄せて、袖を見ると、着たままで隠れている、外套の色が仄に鼠。・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ 幸に家族の者が逃げる時に消し忘れたものらしく、ランプが点して釣り下げてあった。天井高く釣下げたランプの尻にほとんど水がついておった。床の上に昇って水は乳まであった。醤油樽、炭俵、下駄箱、上げ板、薪、雑多な木屑等有ると有るものが浮いてい・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・畳一枚ほどに切れている細長い囲炉裡には、この暑いのに、燃木が四、五本もくべてあって、天井から雁木で釣るした鉄瓶がぐらぐら煮え立っていた。「どうも、毎度、子供がお世話になって」と、炉を隔てて僕と相対したお貞婆さんが改まって挨拶をした。・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・けれど、また町の人家の店頭に巣を造って日が暮れるころになると、みんな家の中の天井の巣の中に入って休みます。そして、夜が明けると外に出て、空や往来の上をひらひらと飛びまわってないているのでありました。 太郎は、ほかの家には、つばめが巣を造・・・ 小川未明 「つばめの話」
・・・ 見るともなく見ると、昨夜想像したよりもいっそうあたりは穢ない。天井も張らぬ露きだしの屋根裏は真黒に燻ぶって、煤だか虫蔓だか、今にも落ちそうになって垂下っている。四方の壁は古新聞で貼って、それが煤けて茶色になった。日光の射すのは往来に向・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・障子の桟にはべたッと埃がへばりつき、天井には蜘蛛の巣がいくつも、押入れには汚れ物がいっぱいあった。……お君が嫁いだ後、金助は手伝い婆さんを雇って家の中を任せていたのだが、選りによって婆さんは腰が曲り、耳も遠かった。「このたびはえらい御不・・・ 織田作之助 「雨」
・・・勾配のひどく急な茅屋根の天井裏には煤埃りが真黒く下って、柱も梁も敷板も、鉄かとも思われるほど煤けている。上塗りのしてない粗壁は割れたり落ちたりして、外の明りが自由に通っている。「狐か狸でも棲ってそうな家だねえ」耕吉はつくづくそう思って、・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ また壁と壁の支えあげている天井との間のわずかの隙間からは、夜になると星も見えたし、桜の花片だって散り込んで来ないことはなかったし、ときには懸巣の美しい色の羽毛がそこから散り込んで来ることさえあった。・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・ 善平はさらに掛構いもなく、天井を見てにこにこ笑いながら、いやもう綱雄は実にあっぱれな男さ。 また、また、父様はもう、とばかり光代は立ちかかりて、いきなり逆手に枕をはずせば、すとんと善平は頭を落されて、や、ひどいことをすると顔をしか・・・ 川上眉山 「書記官」
出典:青空文庫