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・・・二 早くから両親を失い家をなくしてしまった私は、親戚の家を居候して歩いたり下宿やアパートを転々と変えたりして来たためか、天涯孤独の身が放浪に馴染み易く、毎夜の大阪の盛り場歩きもふと放浪者じみていたので、自然心斎橋筋や道頓堀界・・・
織田作之助
「世相」
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・・・父中隊長の戦死後その少年が天涯孤独になったのを三人が引き取って共同で育てているのだ。 三人は毎朝里村千代という若い娘が馭者をしている乗合馬車に乗って町の会社へ出掛けて夕方帰って来るが、その間小隊長は一人留守番をしなくてはならなかった。あ・・・
織田作之助
「電報」