・・・ 友人は不思議ではないかと云わぬばかりに、僕と妻君との顔を順ぐりに見た。「戦場では」と僕が受けて、「大胆に出て行くものにゃア却って弾が当らないものだそうだ。」「うちの人の様にくよくよしとると、ほんまにあきまへん。」「そやかさ・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ちょうど温かい心もちが無いのではありませんが、機転のきかない妻君が、たまたまの御客様に何か薦めたい献りたいと思っても、工合よく思い当るものが無いので、仕方なしに裏庭の圃のジャガイモを塩ゆでにして、そして御菓子にして出しました、といったような・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・それが団十郎の孫にあたるタイピストをつれて散歩しているところを不意に写真機を向けて撮る真似をされたので平生妻君恐怖症にかかっているらしい社長はこの靴磨きを妻君からわざわざさし向けられた秘密探偵社の人とすっかり思い込んでしまってこの実はフィル・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・四千万の愚物と天下を罵った彼も住家には閉口したと見えて、その愚物の中に当然勘定せらるべき妻君へ向けて委細を報知してその意向を確めた。細君の答に「御申越の借家は二軒共不都合もなき様被存候えば私倫敦へ上り候迄双方共御明け置願度若し又それ迄に取極・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・「それなら君の未来の妻君の御母さんの御眼鏡で人撰に預った婆さんだからたしかなもんだろう」「人間はたしかに相違ないが迷信には驚いた。何でも引き越すと云う三日前に例の坊主の所へ行って見て貰ったんだそうだ。すると坊主が今本郷から小石川の方・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・内の夫婦は御祭中田舎の妻君の里へ旅行した。田中君は「シェクスピヤ」の旧跡を探るというので「ストラトフォドオンアヴォン」と云う長い名の所へ行かれた。跡は妻君の妹と下女のペンと吾輩と三人である。 朝目がさめると「シャッター」の隙間から朝日が・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・西宮さんがそんな虚言を言う人ではないと思い返すと、小万と二人で自分をいろいろ慰めてくれて、小万と姉妹の約束をして、小万が西宮の妻君になると自分もそこに同居して、平田が故郷の方の仕法がついて出京したら、二夫婦揃ッて隣同士家を持ッて、いつまでも・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・試に問う、天下の男子、その妻君が別に一夫を愛し、一婦二夫、家におることあらば、主人よくこれを甘んじてその婦人に事るか。また『左伝』にその室を易うということあり。これは暫時細君を交易することなり。 孔子様は世の風俗の衰うるを患て『春秋』を・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・いっそこのまま帰ろうかとも思うて門の内で三人相談して居たが、妻君の勧めもあるから、遂に坐敷に上りこんで待つ事にした。やがて車の音がして主人は息をきらして帰って来られた。これは妻君が方々へ使を出して主人の行先を尋ねられたためであった。 容・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・これでも妻君が内に待ってるだろうッちゅうので折詰を持って帰るなどは大ていな事じゃないよ。嚊大明神尤少々焼いて見るなぞは有難いな。女房の焼くほど亭主持てもせず、ハハハハハ。これでも今夜帰ると、ゲー、嚊大明神きっと焼くよ。あなた今夜どこで飲みま・・・ 正岡子規 「煩悶」
出典:青空文庫