・・・大変に虚栄心に富んだ女房を持った腰弁がありました。ある時大臣の夜会か何かの招待状を、ある手蔓で貰いまして、女房を連れて行ったらさぞ喜ぶだろうと思いのほか、細君はなかなか強硬な態度で、着物がこうだの、簪がこうだのと駄々を捏ねます。せっかくの事・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ と女房たちが子供に云った。 小林と秋山の、どっちも十歳になる二人の男の児が、足袋跣足でかけ出した。 仕事の済んでしまった後の工事場は、麗らかな春の日でも淋しいものだ。それが暗い吹雪の夜は、況して荒涼たる景色であった。 二人・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・あまりいうと、女房に悪いから結論は出さないでおこう。 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・善吉の女房の可哀そうなのが身につまされて、平田に捨てられた自分のはかなさもまたひとしおになッて来る。それで、たまらなく平田が恋しくなッて、善吉が気の毒になッて、心細くなッて、自分がはかなまれて沈んで行くように頭がしんとなって、耳には善吉の言・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・「変な事いうネ、おれの女房は三年前に死んだし、娘は持たず、お三どんだッて置かないのはお前も知ってる通りだろうじゃないか」。「なんといわしっても可愛い可愛い娘ッ子があるから仕方がねエだヨ」。「娘ッ子がある、どんな娘ッ子がある」。「ソレ顔の黒い・・・ 正岡子規 「権助の恋」
・・・一日二日放って置いた仙二夫婦も、四日目には知らない顔を仕切れなくなった。女房のいしが、「婆さま、塩梅どうだね」と尋ねて行った。彼女は間もなく戻って、気味わるそうに仙二に告げた。「――あの婆さま――死ぬんじゃあんめえか」「そん・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・ こう言って長十郎は起って居間にはいったが、すぐに部屋の真ん中に転がって、鼾をかきだした。女房があとからそっとはいって枕を出して当てさせたとき、長十郎は「ううん」とうなって寝返りをしただけで、また鼾をかき続けている。女房はじっと夫の顔を・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・そのくせなかなかよい奴であった。女房にはひどく可哀がられていた。女房はもとけちな女中奉公をしていたもので十七になるまでは貧乏な人達を主人にして勤めたのだ。 ある日曜日に暇を貰って出て歩くついでに、女房は始めてツァウォツキイと知合いになっ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・わたくしの約束した女房を附け廻していた船乗でした。」「そのお上さんになるはずの女はどうなったかね。」 エルリングは異様な手附きをして窓を指さした。その背後は海である。「行ってしまったのです。移住したのです。行方不明です。」「それ・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・老人と子供と女房たちは綱に捕まって快活に跳ねている。誰が命令するというでもないのに、一団の人々は有機体のように完全に協力と分業とで仕事を実現して行く。 私は息を詰めてこの光景を見まもった。海の力と戦う人間の姿。……集中と純一とが最も具体・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫