・・・中でも、これがために最も心を労したのは、家老の前島林右衛門である。 林右衛門は、家老と云っても、実は本家の板倉式部から、附人として来ているので、修理も彼には、日頃から一目置いていた。これはほとんど病苦と云うものの経験のない、赭ら顔の大男・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・ 田口というは昔の家老職、城山の下に立派な屋敷を昔のままに構えて有福に暮らしていましたので、この二階を貸し、私を世話してくれたのは少なからぬ好意であったのです。 ところで驚いたのは、田口に移った日の翌日、朝早く起きて散歩に出ようとす・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・この時に下士の壮年にして非役なる者(全く非役には非ざれども、藩政の要路に関数十名、ひそかに相議して、当時執権の家老を害せんとの事を企てたることあり。中津藩においては古来未曾有の大事件、もしこの事をして三十年の前にあらしめなば、即日にその党与・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・野田は天草の家老野田美濃の倅で、切米取りに召し出された。四月二十六日に源覚寺で切腹した。介錯は恵良半衛門がした。津崎のことは別に書く。小林は二人扶持十石の切米取りである。切腹のとき、高野勘右衛門が介錯した。林は南郷下田村の百姓であったのを、・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・簑田は曾祖父和泉と申す者相良遠江守殿の家老にて、主とともに陣亡し、祖父若狭、父牛之助流浪せしに、平七は三斎公に五百石にて召し出されしものに候。平七は二十三歳にて切腹し、小姓磯部長五郎介錯いたし候。小野は丹後国にて祖父今安太郎左衛門の代に召し・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・姫路ではこの男は家老本多意気揚に仕えている。名は山本九郎右衛門と云って当年四十五歳になる。亡くなった三右衛門がためには、九つ違の実弟である。 九郎右衛門は兄の訃音を得た時、すぐに主人意気揚に願書を出した。甥、女姪が敵討をするから、自分は・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・こうしてこの家中は、家老より小者に至るまで、意地ぎたない、人を抜こうとするような気風になってしまう。 第三は、臆病なる大将である。「心愚痴にして女に似たる故、人を猜み、富める者を好み、諂へるを愛し、物ごと無穿鑿に、分別なく、無慈悲にして・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫