・・・百姓屋の庭に、青い服を着て坊主頭に豚の尾をたらした小児が羊を繩でひいて遊んでいる。道ばたにところどころ土饅頭があって、そのそばに煉瓦を三尺ぐらいの高さに長方形に積んだ低い家のような形をしたものがある。墓場だと小僧が言う。 測候所では二時・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・それに土間で小児の泣く声と、立ち歩くのを叱る出方の尖り声とが耳障りになる。中幕の河庄では、芝三松の小春、雷蔵の治兵衛、高麗三郎の孫右衛門、栄升の太兵衛に蝶昇の善六。二番目は「河内山」で蝶昇が勤めた。雷蔵の松江侯と三千歳、高麗三郎の直侍などで・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・ぐったりとなった憐れな赤犬は熟睡した小児が母の手に衣物を脱がされるように四つの足からそうして背部へと皮がむかれた。致命の打撲傷を受けた頸のあたりはもう黒く血が凝って居た。裸にされた犬は白い歯を食いしばって目がぎろぎろとして居た。毛皮は尾から・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・親は小児に対して無慈悲ではない、冷刻でもない。無論同情がある。同情はあるけれども駄菓子を落した小供と共に大声を揚げて泣くような同情は持たぬのである。写生文家の人間に対する同情は叙述されたる人間と共に頑是なく煩悶し、無体に号泣し、直角に跳躍し・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・ない次第で、私は大人として子供はかくのごとくたわいないものだという証拠に自分の娘や何かを例に引いたのではなく、かえって大人もまたこの例に洩れぬ迂愚なものだという事を証明したいと思ってちょっと分りやすい小児を例に用いたのであります。すべて政治・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・今この語法に従い女子に向て所望すれば、起居挙動の高尚優美にして多芸なるは御殿女中の如く、談笑遊戯の気軽にして無邪気なるは小児の如く、常に物理の思想を離れず常に経済法律の要を忘れず、深く之を心に蔵めて随時に活用し、一挙一動一言一話活溌と共に野・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・法王こちらへ――若僧はぴったり寝床のそばにより、人民は一隅に出来るだけつめて座って、立って居るものはつま先だてて、壁にぴったりとすりよって居る。小児達は母親や父親の首へしっかり抱きついて動かない様な不安な瞳を扉に向ける。・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・ あますところの問題はわたくしが思量の小児にいかなる玩具を授けているかというにある。ここにその玩具を検してみようか。わたくしは書を読んでいる。それが支那の古書であるのは、いま西洋の書が獲がたくして、そのたまたま獲べきものがみな戦争をいう・・・ 森鴎外 「なかじきり」
・・・して、モウそれも叶わぬほどに弱ったお手は、ブルブル震えていましたが、やがて少し落着て……、落着てもまだ苦しそうに口を開けて、神に感謝の一言「神よ、オオ神よ、日々年々のこの婢女の苦痛を哀れと見そなわし、小児を側に、臨終を遂させ玉うを謝し奉つる・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・すなわち牧歌的とも名づくべき、子守歌を聞く小児の心のような、憧憬と哀愁とに充ちた、清らかな情趣である。氏はそれを半ばぼかした屋根や廂にも、麦をふるう人物の囲りの微妙な光線にも、前景のしおらしい草花にも、もしくは庭や垣根や重なった屋根などの全・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫