・・・ ――家は、もと川越の藩士である。御存じ……と申出るほどの事もあるまい。石州浜田六万四千石……船つきの湊を抱えて、内福の聞こえのあった松平某氏が、仔細あって、ここの片原五万四千石、――遠僻の荒地に国がえとなった。後に再び川越に転封され、・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・六 川越の農家の子――椿岳及び伊藤八兵衛 爰に川越在の小ヶ谷村に内田という豪農があった。その分家のやはり内田という農家に三人の男の子が生れた。総領は児供の時から胆略があって、草深い田舎で田の草を取って老朽ちる器でなかったから・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ そこで僕は武蔵野はまず雑司谷から起こって線を引いてみると、それから板橋の中仙道の西側を通って川越近傍まで達し、君の一編に示された入間郡を包んで円く甲武線の立川駅に来る。この範囲の間に所沢、田無などいう駅がどんなに趣味が多いか……ことに・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・次には川越より小川にかかり、安戸に至るの路なり。これを川越通りと称え、比企より秩父に入るの路とす。中仙道熊谷より荒川に沿い寄居を経て矢那瀬に至るの路を中仙道通りと呼び、この路と川越通りを昔時は秩父へ入るの大路としたりと見ゆ。今は汽車の便あり・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ 幸い加藤静子さんはおまえもよく知っているとおり、わが家へ長く通って来て気心もよくわかっていますから、川越のにいさんにとうさんから直接に交渉して、加藤さんをもらい受けることに話をまとめました。 このことはまだ親戚にも友人にもだれにも・・・ 島崎藤村 「再婚について」
・・・ この日は少し曇っていて、それでいて道路の土が乾き切っているので街道は塵が多く、川越街道の眺めが一体に濁っていた。 巣鴨から上野へと本郷通りを通るときに、また新しい経験をした。毎週一、二度は必ず車で通る大学前の通りが、今日はいつもと・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
出典:青空文庫