・・・寄するときは甲の浪、鎧の浪の中より、吹き捲くる大風の息の根を一時にとめるべき声を起す。退く浪と寄する浪の間にウィリアムとシーワルドがはたと行き逢う。「生きておるか」とシーワルドが剣で招けば、「死ぬところじゃ」とウィリアムが高く盾を翳す。右に・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・南車を胡地に引き去るかすみかな閣に坐して遠き蛙を聞く夜かな祇や鑑や髭に落花を捻りけり鮓桶をこれへと樹下の床几かな三井寺や日は午に逼る若楓柚の花や善き酒蔵す塀の内耳目肺腸こゝに玉巻く芭蕉庵採蓴をうたふ彦根の夫かな・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・二人の精霊もその声にこっちを向いて二人の廻りをとり巻く。第一の精霊 シリンクスお主はこの若人に何をお云いなされた? あの笑い声は――あんまりとりとめもない声だったが――精女アノ、私はこの方が死ねと云えとおっしゃいましたので申した・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・ 池の水草の白い花が夕もやの下りた池のうす紫の中にほっかり夢の様に見える様子や、泳ぎながらその花で体中を巻く時の美くしさや快さなんかも思った。 何がなしに仙二には夏の来るのがいつもより倍も倍も待遠かった。 毎日毎日若い仙二は夏の・・・ 宮本百合子 「グースベリーの熟れる頃」
・・・ 地球を七巻き巻くとかいう云いかたも執念めいた響きを添える。七巻きとか七巻き半とかいう表現は、仏教の七生までも云々という言葉とともに、あることがらを自分の目前から追い払ってもまだそれはおしまいになったわけではないぞよ、という脅嚇を含んで・・・ 宮本百合子 「幸運の手紙のよりどころ」
・・・――よりつけやしない――二三分でいいんだ、これを巻くまで手をかしてくれ」 麗らかな日光にキラキラ光る白木綿を見ると、幸雄は一層猛り立った。「どけ! 放せ! 放せ!」 三人の男が扱いかねた。一人が腰を捉まえた拍子に、ビリビリ音がし・・・ 宮本百合子 「牡丹」
・・・お婆さんが糸を巻くのは、もう風見のさえ、羽交に首を突こんで一本脚で立ったまま、ぐっすり眠っている刻限でしたもの。〔一九二三年九月〕 宮本百合子 「ようか月の晩」
・・・皆が時計を出して巻く。木村も例の車掌の時計を出して巻く。同僚はもうとっくに書類を片附けていて、どやどや退出する。木村は給仕とただ二人になって、ゆっくり書類を戸棚にしまって、食堂へ行って、ゆっくり弁当を食って、それから汗臭い満員の電車に乗った・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・安次はまた三尺の中へ紙幣を巻くと、「トトトトトト。」 と呼びながら鶏の方へ手を延ばした。どこかで土を掘り返す鋤の音がした。菜園の上からは白い一条の煙が立ち昇っていて、ゆるく西の方へ靡いていた。 勘次は叺を抱えて蔵の中から出て来る・・・ 横光利一 「南北」
・・・と云って、元気よく上着を捲くし上げた。 外へ出て真ッ暗な六本木の方へ、歩いていくときだった。また栖方は梶に擦りよって来ると、突然声をひそめ、今まで抑えていたことを急に吐き出すように、「巡洋艦四隻と、駆逐艦四隻を沈めましたよ。光線をあ・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫