・・・いや、私のような平凡な男がどんな風に育ったかなどという話は、思えばどうでもいいことで、してみると、もうこれ以上話をしてみても始まらぬわけだと、今までの長話も後悔されてきます。しかし、それもお喋りな生れつきの身から出た錆、私としては早く天王寺・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・そして花としての印象はむしろ平凡であった。――しかしその沿道で見た二本のうつぎには、やはり、風情と言ったものが感ぜられた。 ある日曜、訪ねて来た友人と市中へ出るのでいつもの阪を登った。「ここを登りつめた空地ね、あすこから富士がよ・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・だれでも今の公報を読めば愉快だ、それを読んで愉快な気持ちになっておるところなら平凡な事で、別にこの大先生を煩わすに及ぶまいハヽヽヽヽ」「なぜだ、これはおかしい、なぜです。」と加藤号外君、せきこんで詰問に及んだ。「号外から縁がなくなっ・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・すべての男性が家庭的で、妻子のことのみかかわって、日曜には家族的のトリップでもするということで満足していたら、人生は何たる平凡、常套であろう。男性は獅子であり、鷹であることを本色とするものだ。たまに飛び出して巣にかえらぬときもあろう。あまり・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・山間水涯に姓名を埋めて、平凡人となり了するつもりに料簡をつけたのであろう。或人は某地にその人が日に焦けきったただの農夫となっているのを見たということであった。大噐不成なのか、大噐既成なのか、そんな事は先生の問題ではなくなったのであろう。・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・ いな、人間の死は、科学の理論を待つまでもなく、実に平凡なる事実、時々刻々の眼前の事実、なんびともあらそうべからざる事実ではないか。死のきたるのは、一個の例外もゆるさない。死に面しては、貴賎・貧富も、善悪・邪正も、知恵・賢不肖も、平等一・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・そうして八年前に私と、平凡な見合い結婚をして、もうその頃から既にそろそろ東京では貸家が少くなり、中央線に沿った郊外の、しかも畑の中の一軒家みたいな、この小さい貸家をやっと捜し当て、それから大戦争まで、ずっとここに住んでいたのです。 夫は・・・ 太宰治 「おさん」
・・・そこで目差す女が平凡な容貌でないことは、言うまでもない。女は女優である。遊んだり、人のおもちゃになったりしていずに、少し稽古でもしたら、立派な俳優になった女かも知れない。どうかして舞台で旨い事をしたのを、劇評家が見て、あれは好く導いて発展さ・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・いや、三十七歳の今日、こうしてつまらぬ雑誌社の社員になって、毎日毎日通っていって、つまらぬ雑誌の校正までして、平凡に文壇の地平線以下に沈没してしまおうとはみずからも思わなかったであろうし、人も思わなかった。けれどこうなったのには原因がある。・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・なるほど、もしも人形の顔なりからだなりが、あまりに平凡な写実的のものであったとしたら、おそらく人形の劇的表情は半分以上消えてしまうであろうのみならず、不自然、非写実的な環境の中に孤立した写実は全く救い難い破綻を見せるであろう。 女形が女・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
出典:青空文庫