ごとうきいち【後藤紀一】
[1915〜1990]小説家・日本画家。山形の生まれ。京都で友禅の図案を学び、山形に工房を開く。日本画で日展入選。「少年の橋」で芥川賞受賞。他に「村の陽だまり」など。
ごとうけぼり【後藤家彫】
後藤祐乗 (ゆうじょう) を祖とする後藤家の金工が彫った装剣金具。将軍家・諸大名の正式の拵 (こしら) えに用いられた。後藤物。家彫 (いえぼり) 。後藤彫。
ごとうこんざん【後藤艮山】
[1659〜1733]江戸中期の医師。江戸の人。名は達。別号は養庵。父の郷里の京都に帰って開業。多くの門人を育て、古医方の祖とされる。当時の医師の常識を破り、僧形をせずに平服をつけた。
ごとうしざん【後藤芝山】
[1721〜1782]江戸中期の儒学者。讃岐 (さぬき) の人。名は世鈞。高松藩主の侍講となり、藩校の講道館を設立。四書五経に施した訓点は、後藤点として知られる。著「元明史略」など。
ごとうじゅあん【後藤寿庵】
江戸時代の武将。本姓、岩淵。ジュアンは洗礼名。伊達政宗に仕え、キリシタンとして奥州で布教活動を行ったが、幕府の禁教政策のため後に追放。灌漑 (かんがい) 事業にも尽力し、胆沢川から水を引いた寿庵堰 (ぜき) に名が残る。生没年未詳。
ごとうしょうじろう【後藤象二郎】
[1838〜1897]政治家。土佐の人。公武合体・大政奉還運動に活躍。明治維新後は新政府に仕えたが、征韓論に敗れて下野。板垣退助らとともに愛国公党を組織し、民撰議院設立建白書の提出に参画。のち、大同団結運動を提唱した。逓信相・農商務相を歴任。
ごとうしんぺい【後藤新平】
[1857〜1929]政治家。岩手の生まれ。満鉄初代総裁となり、植民地経営に活躍。逓信・内務・外務各大臣、東京市長などを歴任。また、関東大震災直後の東京の復興と、日ソ国交回復に尽力した。
ごとうちゅうがい【後藤宙外】
[1867〜1938]小説家・評論家。秋田の生まれ。本名、寅之助。「新小説」を編集し、反自然主義の立場に立つ。小説「ありのすさび」「闇のうつつ」、回想録「明治文壇回顧録」など。
ごとうてん【後藤点】
漢文訓読法の一。江戸中期、高松藩の儒者後藤芝山 (しざん) のつけた四書五経の訓点。広く世に行われた。
ごとうとうしろう【後藤藤四郎】
短刀の名作。京都の刀工、粟田口 (あわたぐち) 藤四郎吉光の作。金座の後藤光次 (みつつぐ) が所持したところからの名称で、現在は尾張の徳川家蔵。国宝。