・・・ はなはだしきは道徳教育論に喋々するその本人が、往々開進の風潮に乗じて、利を射り、名を貪り、犯すべからざるの不品行を犯し、忍ぶべからざるの刻薄を忍び、古代の縄墨をもって糺すときは、父子君臣、夫婦長幼の大倫も、あるいは明を失して危きが如く・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・これらの弊害は事物の新旧交代の際に多少免るべからざるものとしてこれを忍ぶも、ここに忍ぶべからざるは、その弊害の極度に至り、今の婦人が男子の挙動に傚わんとして、今の日本男子の品行を学ぶが如きあらばこれを如何すべきや。日本国人の品行美ならずとい・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・、おのれきものぬぎかへて賤が著るつづりおりに似たる衣をきかへたり、此時扇一握を半井保にたまひて曙覧にたびてよと仰せたり、おのれいへらく、みましの屋の名をわらやといへるはふさはしからず、橘のえにしあれば忍ぶの屋とけふよりあらためよといへり、屋・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・はた十銭のはたごに六部道者と合い宿の寝言は熟眠を驚かし、小石に似たる飯、馬の尿に似たる渋茶にひもじ腹をこやして一枚の木の葉蒲団に終夜の寒さを忍ぶ。いずれか風流の極意ならざる。われ浮世の旅の首途してよりここに二十五年、南海の故郷をさまよい出で・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・故に、或る場合には、大局に於て結果のよい為に、小さい不便を忍ぶことが双方にあるでしょう。それは、二人の負う義務並に責任で、決して相すみません、と云わなければならないことではありません。互に為すべきことを明に弁え、正しく賢く着々と生活を運転さ・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・けれども、その極めて稀れな一つ二つの実例さえ、何千人かの文字さえ自由によめぬ若い娘さん達にとって、忍ぶべからざる境遇を忍ぶよすがに役立てられている場合もあろうと、或る憤りを感じるのである。〔一九三五年二月〕・・・ 宮本百合子 「村からの娘」
・・・外記に傷つけられたのは忍ぶことも出来よう。殿様に棄てられたのは忍ぶことが出来ない。島原で城に乗り入ろうとしたとき、御先代がお呼び止めなされた。それはお馬廻りのものがわざと先手に加わるのをお止めなされたのである。このたび御当主の怪我をするなと・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ しかし奥様がどことなく萎れていらしって恍惚なすった御様子は、トント嬉かった昔を忍ぶとでもいいそうで、折ふしお膝の上へ乗せてお連になる若殿さま、これがまた見事に可愛い坊様なのを、ろくろくお愛しもなさらない塩梅、なぜだろうと子供心にも思いまし・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・「聖人を侮るの罪のみは忍ぶべからず」という態度であるから、ほとんど議論にはならないのである。したがってこの書は、青年羅山の眼界が非常に狭く、考え方が自由でないことを思わせる。 羅山は非常に博学であって、多方面の著書を残している。その言説・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・ 八犬伝は「浜路が信乃のもとへ忍ぶ」個所などを除く時、トルストイの芸術観に適合する作物となるそうである。現代徳育の理想もまた八犬士の境地である。この理想はよい。よいには相違ないがこの理想によって「虚栄を根本より覆せ」と叫ぶものは過激だと・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫