・・・三重吉はどこで買ったか、七子の三つ折の紙入を懐中していて、人の金でも自分の金でも悉皆この紙入の中に入れる癖がある。自分は三重吉が五円札をたしかにこの紙入の底へ押し込んだのを目撃した。 かようにして金はたしかに三重吉の手に落ちた。しかし鳥・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・こんな多勢の人達が悉皆出征なさる方に縁故のある人、別離を惜しみに此処に集ってお居でなさるのかと思ったら、私は胸が一杯になりましたの。『若子さん、中へは這入れそうもないことよ。』 各箇かの団体の、いろいろの彩布の大旗小旗の、それが朝風・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・ 民権論者とて悉皆老成人に非ず。あるいは白面の書生もあらん、あるいは血気の少年もあらん。その成行決して安心すべからず。万々一もこの二流抱合の萌を現わすことあらば、文明の却歩は識者をまたずして知るべし。これすなわち禍の大なるものなり。国の・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・のみならず、その発明したるものを、人事の実際に施して実益を取るの工風、日に新たにして、およそ工場または農作等に用うる機関の類はむろん、日常の手業と名づくべき灌水・割烹・煎茶・点燈の細事にいたるまでも、悉皆学問上の主義にもとづきて天然の原則を・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・ もとより下士の輩、悉皆商工に従事するには非ざれども、その一部分に行わるれば仲間中の資本は間接に働をなして、些細の余財もいたずらに嚢底に隠るることなく、金の流通忙わしくして利潤もまた少なからず。藩中に商業行わるれば上士もこれを傍観するに・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・必ずしも一人の君主または頭取が独り暴威を逞しうして、悉皆他の人民を窘しむるがためにあらず。衆庶の力を集めてこれを政府となしまたは会社と名づけ、その集まりたる勢力を以て各個人の権を束縛し、以てその自由を妨ぐるものなり。この勢力を名づけて政府の・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・天下の姑悉皆悪婦にあらず、天下の嫁悉皆悪女子にあらざるに、其人柄の良否に論なく其間の概して穏ならざるは、畢竟人の罪に非ず勢の然らしむる所、一歩を進めて論ずれば世教習慣の然らしむる所なりと言わざるを得ず。其世教に教うる所を聞けば、嫁の舅姑に事・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ されば余が弱冠の時より今日にいたるまでの生活は、悉皆偶然に出でたる僥倖にして、その然るゆえんは必ずしも余が暗愚、先見の明なきがために非ず。時勢の変遷、これを前知する能わざるは、誰れ人も一様なるその中に、余が志し、また企てたる事は、あた・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・、家族あらざれば国もまたあるべからず、日本は未だ国を成さざるものなりなど、口を極めて攻撃せらるるときは、我輩も心の内には外国人の謬見妄漫を知らざるにあらず、我が徳風斯くまでに壊れたるにあらず、我が家族悉皆然るにあらず、外人の眼の達せざる所に・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・譬ば恋情の切なるものは能く人を殺すといえることを以て意と為したる小説あらんに、其の本尊たる男女のもの共に浮気の性質にて、末の松山浪越さじとの誓文も悉皆鼻の端の嘘言一時の戯ならんとせんに、末に至って外に仔細もなけれども、只親仁の不承知より手に・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
出典:青空文庫