・・・その気質にはかなり意地の強いところもあるらしく見えたが、それも相互にまだ深い親しみのない私に対する一種の見えと羞恥とから来ているものらしく思われた。彼は眉目形の美しい男だという評判を、私は東京で時々耳にしていた。雪江は深い愛着を彼にもってい・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・そんな意地の悪いことを言わないで。」「そうですね。まア弐円がせいぜいという処でしょう。」 わたしと唖々子とは、最初拾円と大きく切出して置けば結局半分より安くなることはあるまいと思っていたので、暫く顔を見合せたまま何とも言う事ができな・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・クララの説によると黒い眼の子は意地が悪い、人がよくない、猶太人かジプシイでなければ黒い眼色のものはない。ウィリアムは怒って夜鴉の城へはもう来ぬと云ったらクララは泣き出して堪忍してくれと謝した事がある。……二人して城の庭へ出て花を摘んだ事もあ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ お熊は四十格向で、薄痘痕があッて、小鬢に禿があッて、右の眼が曲んで、口が尖らかッて、どう見ても新造面――意地悪別製の新造面である。 二女は今まで争ッていたので、うるさがッて室を飛び出した吉里を、お熊が追いかけて来たのである。「・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・したがお前の心を探って見ると、一旦は軽はずみに許したが男のいう言は一度位ではあてにならぬと少し引きしめたように見えたので、こちらも意地になり、女の旱はせぬといったような顔して、疎遠になるとなく疎遠になって居たのだが、今考えりゃおれが悪かった・・・ 正岡子規 「墓」
・・・と云いながら画かきはまた急に意地悪い顔つきになって、斜めに上の方から軽べつしたように清作を見おろしました。 清作はすっかりどぎまぎしましたが、ちょうど夕がたでおなかが空いて、雲が団子のように見えていましたからあわてて、「えっ、今晩は・・・ 宮沢賢治 「かしわばやしの夜」
・・・門衛がいるが、一向意地わるそうでもないし、うたぐり深い目つきもしていない。「受付はどこでしょう」と私がきいたら『プラウダ』をよみかけていたままの手をうごかして、「ずっと真直入って行くと右側に二つ戸がある、先の方のドアですよ」・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・弥一右衛門はほかの人の言いつけられてすることを、言いつけられずにする。ほかの人の申し上げてすることを申し上げずにする。しかしすることはいつも肯綮にあたっていて、間然すべきところがない。弥一右衛門は意地ばかりで奉公して行くようになっている。忠・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・はるかに狼が凄味の遠吠えを打ち込むと谷間の山彦がすかさずそれを送り返し,望むかぎりは狭霧が朦朧と立ち込めてほんの特許に木下闇から照射の影を惜しそうに泄らし、そして山気は山颪の合方となッて意地わるく人の肌を噛んでいる。さみしさ凄さはこればかり・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・こういう事になると子供は露骨に意地を張り通します。もちろん私は子供のわがままを何でも押えようとは思いませんが、しかし時々は自分の我のどうしても通らない障壁を経験させてやらなければ、子供の「意志」の成長のためによろしくないと考えています。で、・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫