・・・ただかくの如く生れ、かくの如く成長し、かくの如き社会の感化を受けて、かくの如き人間に片付いたまでと自覚するだけで、その自覚以上に何らの驚ろくべき点がないから、従って何らの好奇心も起らない、従って何らの研究心も生じない。かかる理の当然一片の判・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
一 夫女子は成長して他人の家へ行き舅姑に仕ふるものなれば、男子よりも親の教緩にすべからず。父母寵愛して恣に育ぬれば、夫の家に行て心ず気随にて夫に疏れ、又は舅の誨へ正ければ堪がたく思ひ舅を恨誹り、中悪敷成て終には追出され恥・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 人の智恵は、善悪にかかわらず、思のほかに成長するものなり。油断大敵、用心せざるべからず。ゆえにかの瓜の蔓も、いつの間にかは変性して、やや茄子の木の形をなしたるに、瓜はいぜんとして瓜たることもあらん。あるいは阿多福が思をこらして容を装う・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・高随三四春草路三叉中に捷径あり我を迎ふたんぽゝ花咲り三々五々五々は黄に三々は白し記得す去年此路よりす憐しる蒲公茎短して乳をむかし/\しきりにおもふ慈母の恩慈母の懐抱別に春あり春あり成長して浪花にあり 梅は白し浪花橋辺財主・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・「虔十、あそごは杉植ぇでも成長らなぃ処だ。それより少し田でも打って助けろ。」 虔十はきまり悪そうにもじもじして下を向いてしまいました。 すると虔十のお父さんが向うで汗を拭きながらからだを延ばして「買ってやれ、買ってやれ。虔十・・・ 宮沢賢治 「虔十公園林」
・・・しかもそれは一人の前進的な人間の小市民的インテリゲンツィアからボルシェビキへの成長の過程であり、日本のプロレタリア解放運動とその文学運動の歴史のひとこまでもある。そのひとこまには濃厚に、日本の天皇制権力の野蛮さとそれとの抗争のかげがさしてい・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・謙介は成長してから父に似た異相の男になったが、後日安東益斎と名のって、東金、千葉の二箇所で医業をして、かたわら漢学を教えているうちに、持ち前の肝積のために、千葉で自殺した。年は二十八であった。墓は千葉町大日寺にある。 浦賀へ米艦が来・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・ところが三郎は成長するに従って武術にも長けて来て、なかなか見どころのある若者となったので養父母も大きに悦び、そこでそれをついに娘の聟にした。 その時三郎は十九で忍藻は十七であった。今から見ればあまりな早婚だけれど、昔はそのようなことには・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・かかる社会主義的な文学は、当然、正統な弁証法的発展段階のもとに成長して来た、新感覚派文学の中から起るべき運命を持っている。 しかしながら、次に起るべき新しき文学は、新感覚派の中から発生した社会主義文学のみではない。何故なら、われわれ・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
・・・のわがままを何でも押えようとは思いませんが、しかし時々は自分の我のどうしても通らない障壁を経験させてやらなければ、子供の「意志」の成長のためによろしくないと考えています。で、この時にも私は子供を叱ってそのわがままを押しつぶそうとしました。―・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫