・・・が、彼の日記によれば、やはりいつも多少の危険と闘わなければならなかったようである。「七月×日 どうもあの若い支那人のやつは怪しからぬ脚をくつけたものである。俺の脚は両方とも蚤の巣窟と言っても好い。俺は今日も事務を執りながら、気違いになる・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・「美代ちゃんは今学校の連中と小田原へ行っているんだがね、僕はこの間何気なしに美代ちゃんの日記を読んで見たんだ。……」 僕はこの「何気なしに」に多少の冷笑を加えたかった。が、勿論何も言わずに彼の話の先を待っていた。「すると電車の中・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・「そうしてその仮定と云うのは、今君が挙げた加治木常樹城山籠城調査筆記とか、市来四郎日記とか云うものの記事を、間違のない事実だとする事です。だからそう云う史料は始めから否定している僕にとっては、折角の君の名論も、徹頭徹尾ノンセンスと云うよ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・人間の感情生活の変化の厳密なる報告、正直なる日記でなければならぬ。したがって断片的でなければならぬ。――まとまりがあってはならぬ。(まとまりのある詩すなわち文芸上の哲学は、演繹的には小説となり、帰納的には戯曲となる。詩とそれらとの関係は、日・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・「な、何からはじまった事だか知らんが、ちょうど一週間前から、ふと朱でもって書き続けた、こりゃ学校での、私の日記だ。 昨日は日曜で抜けている。一週間。」 と颯と紙が刎ねて、小口をばらばらと繰返すと、戸外の風の渦巻に、一ちぎれの赤い・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・――明治四十一年十二月十一日、火災の翌日記―― 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・桜井女学校の講師をしていた時分、卒業式に招かれて臨席したが、中途にピアノの弾奏が初まったので不快になって即時に退席したと日記に書いてある。晩年にはそれほど偏意地ではなかったが、左に右く洋楽は嫌いであった。この頃の洋楽流行時代に居合わして、い・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・川端康成氏の「十六歳の日記」は作者の十六歳の時の筆が祖父の大阪弁を写生している腕のたしかさはさすがであり、書きにくい大阪弁をあれだけ写し得たことによってこの作品が生かされたともいえるくらいであるが、あの大阪弁は茨木あたりの大阪弁である。「細・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・心境小説的私小説の過不足なき描写をノスタルジアとしなければならぬくらい、われわれは日本の伝統小説を遠くはなれて近代小説の異境に、さまよいすぎたとでもいうのか。日記や随筆と変らぬ新人の作品が、その素直さを買われて小説として文壇に通用し、豊田正・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・旅行日記はぜひ頼みますよ」「うえへッ!」 武田さんは飛び上った。「まず、満州へ行く感想といった題で一文いただけませんか」「誰が満州へ行くんだい?」「あなたが――。今日のうちの消息欄に出てましたよ」「どれどれ……」・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
出典:青空文庫