・・・富士の美しく霞んだ下に大きい櫟林が黒く並んで、千駄谷の凹地に新築の家屋の参差として連なっているのが走馬燈のように早く行き過ぎる。けれどこの無言の自然よりも美しい少女の姿の方が好いので、男は前に相対した二人の娘の顔と姿とにほとんど魂を打ち込ん・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・通例そのような傾向は、かなりに早くから現われるものである。それだから自分の案では、中等学校の三年頃からそれぞれの方面に分派させるがいいと思う。その前に教える事は極めて基礎的なところだけを、偏しない骨の折れない程度に止めた方がいい。それでもし・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・ で、わたしは気忙しい思いで、朝早く停留所へ行った。 その日も桂三郎は大阪の方へ出勤するはずであったが、私は彼をも誘った。「二人いっしょでなくちゃ困るぜ。桂さんもぜひおいで」私は言った。「じゃ私も行きます」桂三郎も素直に応じ・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・思っていたが、実に思いがけなく今明治四十四年の劈頭において、我々は早くもここに十二名の謀叛人を殺すこととなった。ただ一週間前の事である。 諸君、僕は幸徳君らと多少立場を異にする者である。僕は臆病で、血を流すのが嫌いである。幸徳君らに尽く・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・もう夕方だから早く廻らないと、どこの家でも夕飯の仕度がすんでしまって間にあわなくなる。しきりに気はあせるが、天秤棒は肩にめりこみそうに痛いし、気持も重くなって足もはかどらない。しまいには涙がでてきて、桶ごとこんにゃくも何もおっぽりだしたくな・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ 上野の桜は都下の桜花の中最早く花をつけるものだと言われている。飛鳥山隅田堤御殿山等の桜はいずれも上野につぐものである。之を小西湖佳話について見るに、「東台ノ一山処トシテ桜樹ナラザルハ無シ。其ノ単弁淡紅ニシテ彼岸桜ト称スル者最多シ。古又・・・ 永井荷風 「上野」
・・・から船足がおそいのに、なぜそれをえらんだのかと私が聞いたら、先生はいくら長く海の中に浮いていても苦にはならない、それよりも日本からベルリンまで十五日で行けるとか十四日で着けるとかいって、旅行が一日でも早くできるのを、非常の便利らしく考えてい・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
・・・その中、彼は明日遠くへ行かねばならぬというので、早く帰った。多くの人々は彼を玄関に見送った。彼は心地よげに街頭の闇の中に消え去った。 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・そのくせニイチェの名前だけは、日本の文壇に早くから紹介されて居た。生田長江氏がその全訳を出す以前にも、既に高山樗牛、登張竹風等の諸氏によつて、早く既に明治時代からニイチェが紹介されて居た。その上にもニイチェの名は、一時日本文壇の流行児でさへ・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・「サア、早く遁げよう! そして病院へ行かなけりゃ」私は彼女に云った。「小僧さん、お前は馬鹿だね。その人を殺したんじゃあるまいね。その人は外の二三人の人と一緒に私を今まで養って呉れたんだよ、困ったわね」 彼女は二人の闘争に興奮して・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
出典:青空文庫