・・・それが有形無形の自分の存在に非常の危険を持ち来たす。あるいは百年千年の後には、その方が一層幸福な生存状態を形づくるかも知れないが、少なくともすぐ次の将来における自己の生というものが威嚇される。単身の場合はまだよいが、同じ自己でも、妻と拡がり・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・私は読者の中で国家百年の将来を思う人々があらば、どうかこういう国家的にも世界的にも意義の深い仕事に有形無形の援助を惜しまれないようにこの機会をかりて切望する次第である。 人間が地上ばかりを歩いている間は普通の地図で足りるが、空を飛び歩く・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・lies と云うと有形的な物体に適用せらるる文字である。だから uneasy と読んで、どちらの uneasy かと迷う間もなく、直 lies と云う字に接続するからして uneasy の意味は明確になってくる。するとまたこう非難する人が出・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・で、無形なものであるべき怨霊が、有形の棍棒を振うことは、これは穏かでない話であった。だが、困った事には、怨霊の手段としての、言論や文字や、棍棒は禁圧が出来たが、怨霊そのものについては? こいつは全で空気と同じく、あらゆる地面を蔽ってはいたが・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・いわんや彼の西洋諸大家の理論書を窺い、有形の物理より無形の人事に至るまで、逐一これを比較分解して、事々物々の原因と結果とを探索するにおいてをや。読てその奥に至れば、心事恍爾としてほとんど天外に在るの思をなすべし。この一段に至て、かえりみて世・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・飲食衣服は有形の物にして誰れの手を以て与うるも同様なるに似たれども、其これを与うるの間に母徳無形の感化力は有形物に優ること百千倍なるを忘る可らず。蚕を養うにも家人自からすると雇人に打任せるとは其生育に相違ありと言う。況んや自分の産みたる子供・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・兵馬匆卒の際、言論も自由なれば、思うがままに筆を揮うてはばかるところなく、有形の物については物理原則のあざむくべからざるを説き、無形の事に関しては人権の重きを論じ、ことに独立の品行、自尊自重の旨を勧告してその著書も少なからず、これがために当・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・ことに智育有形の実学を離れて、道徳無形の精神にいたりては、ひとたびその体を成して終身変化する能わざるもの多し。けだし人生の教育は生れて家風に教えられ、少しく長じて学校に教えられ、始めて心の体を成すは二十歳前後にあるものの如し。この二十年の間・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
・・・ この点より見れば、人はあたかも社会の奴隷にして、その圧制を蒙り、毫も自由を得ざるものにして、いかなる有力の士人にても、古今世界にこの圧制を免かれたる者あるを聞かざるなり。有形の物、皆然り。然らばすなわち無形の智徳にして、ひとり社会の圧・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・近く有形のものについて確かなる証拠を示さんに、両親の身体に病あればその病毒は必ず子孫に遺伝するを常とす、人の普く知る所にして、夫婦の病は家族百病の根本なりといわざるを得ず。有形の病毒にして斯の如くなれば、無形の徳義においてもまた斯の如くなる・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫