・・・春といっても横にひろがった薺が、枝を束ねた桑畑の畝間にすっと延び出して僅かに白い花が見え出してまだ麦が首を擡げない頃は其短い麦の間に小さな体にしては恐ろしげな毛を頭に立てた雲雀がちょろちょろと駈け歩いて居る。赤は雲雀を見つけるとすぐ其後に土・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・カーライルは書物の上でこそ自分独りわかったような事をいうが、家をきめるには細君の助けに依らなくては駄目と覚悟をしたものと見えて、夫人の上京するまで手を束ねて待っていた。四五日すると夫人が来る。そこで今度は二人してまた東西南北を馳け廻った揚句・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・爛々たる騎士の眼と、針を束ねたる如き女の鋭どき眼とは鏡の裡にてはたと出合った。この時シャロットの女は再び「サー・ランスロット」と叫んで、忽ち窓の傍に馳け寄って蒼き顔を半ば世の中に突き出す。人と馬とは、高き台の下を、遠きに去る地震の如くに馳け・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・内懐からクララのくれた一束ねの髪の毛を出して見る。長い薄色の毛が、麻を砧で打って柔かにした様にゆるくうねってウィリアムの手から下がる。ウィリアムは髪を見詰めていた視線を茫然とわきへそらす。それが器械的に壁の上へ落ちる。壁の上にかけてある盾の・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ 今一個の抽匣から取り出したのは、一束ねずつ捻紙で絡げた二束の文である。これはことごとく平田から来たのばかりである、捻紙を解いて調べ初めて、その中から四五本選り出して、涙ながら読んで涙ながら巻き納めた。中には二度も三度も読み返した文もあ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 岡本が、蒼白い平らな顔に髪を引束ねた姿で紅茶を運んで来た。彼女は、今日特別陰気で、唇をも動かさず口の中で、「いらっしゃいまし」と挨拶した。「岡本さんも一緒に召し上れよ」「はあ、私あちらでいただきますから」 陽子の部・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ 長い間の親しい友達として私は只手を束ねて傍観する事は出来ない事である。 親しい友達と云うものの心をつくづく考えて見れば、なまなかの兄弟よりもたのもしいものである。 幸福な境遇にあるものと、不幸な身上のものと、 よく斯うした・・・ 宮本百合子 「M子」
・・・紅玉色の硝子は、濃い黒い束ね髪の上にあった。髪の下に、生え際のすんなりした低い額と、心持受け口の唇とがある。納戸の着物を着た肩があって、そこには肩あげがある。 目で見る現在の景色と断れ断れな過去の印象のジグザグが、すーっとレンズが過去に・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・髪なども長くして、それを紫の紐で束ねて後へ下げ、古い枝ぶりの好い松の樹が見える部屋で、幼い藤村に「大学」や「論語」の素読を教えた。その父の案で、藤村は僅か九歳のとき、兄と一緒に東京の姉の家へ、勉強によこされたのであった。 そのときから、・・・ 宮本百合子 「藤村の文学にうつる自然」
・・・もう物蔭は少し薄暗くなっていて、物置の奥がはっきり見えないのを、覗き込むようにして見ると、髪を長く垂れた、等身大の幽霊の首に白い着物を着せたのが、萱か何かを束ねて立てた上に覗かせてあった。その頃まで寄席に出る怪談師が、明りを消してから、客の・・・ 森鴎外 「百物語」
出典:青空文庫