・・・私は唯だ来春、正月でなければ遊びに来ない、父が役所の小使勘三郎の爺やと、九紋龍の二枚半へうなりを付けて上げたいものだ。お正月に風が吹けばよいと、そんな事ばかり思って居た。けれども、出入りの八百屋の御用聞き春公と、家の仲働お玉と云うのが何時か・・・ 永井荷風 「狐」
・・・なるほど珍らしいに相違ない、この正月に顔を合せたぎり、花盛りの今日まで津田君の下宿を訪問した事はない。「来よう来ようと思いながら、つい忙がしいものだから――」「そりゃあ、忙がしいだろう、何と云っても学校にいたうちとは違うからね、この・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・十月ごろから食べはじめ、三月のいわゆる菜種河豚でおしまいにするが、なんといっても正月前後がシュンだ。そこで、正月の松の内に、五、六人の友人と一隻のポンポン船で遠征し、寒さでみんなカゼを引いてしまった。しかも、河豚は二匹しか釣れず、その一匹を・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・一 我里の親の方に私し夫の方の親類を次にすべからず。正月節句抔にも先づ夫の方を勤て次に我親の方を勤べし。夫の許さゞるには何方へも行くべからず。私に人に饋ものすべからず。 我さとの親の方に私して夫の方の親類を次にす可ら・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・それだからというて別に彼らを慰めてやる方法もないので困って居た所が、この正月に碧梧桐が近所へ転居して来たので、その妻君や姉君が時々見舞われるのは、内の女どもにとりてはこの上もない慰みになるようになった。殊に三月の末であったか、碧梧桐一家の人・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・妻には着物のさし入れさえさせなかった。正月二日に山口県の田舎へ行って、宮本の母を東京につれて来て、面会を要求し、やっと生きている姿をたしかめた。以来十二年間宮本の獄中生活がつづいた。一月十五日には私も検挙された。その切迫した数日のうちに、苦・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第四巻)」
・・・ 十二月の末、かれはついに床についた。 正月の初めにかれは死んだ。そして最後の苦悩の譫語にも自分の無罪を弁解して、繰り返した。『糸の切れっ端――糸の切れっ端――ごらんくだされここにあります、あなた。』・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・然るところ松向寺殿御遺骸は八代なる泰勝院にて荼だびせられしに、御遺言により、去年正月十一日泰勝院専誉御遺骨を京都へ護送いたし候。御供には長岡河内景則、加来作左衛門家次、山田三右衛門、佐方源左衛門秀信、吉田兼庵相立ち候。二十四日には一同京都に・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・その顔は何処か正月に見た獅子舞いの獅子の顔に似ているところもあったが、吉を見て笑う時の頬の肉や殊に鼻のふくらはぎまでが、人間のようにびくびくと動いていた。吉は必死に逃げようとするのに足がどちらへでも折れ曲がって、ただ汗が流れるばかりで結局身・・・ 横光利一 「笑われた子」
・・・九三年正月初めてニューヨークに現われた時には、ヒュネカアの語を藉れば She attracted a small band of admirable lunatics who saw her uncritically as a symbol・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫