・・・たとい君は同じ屏風の、犬を曳いた甲比丹や、日傘をさしかけた黒ん坊の子供と、忘却の眠に沈んでいても、新たに水平へ現れた、我々の黒船の石火矢の音は、必ず古めかしい君等の夢を破る時があるに違いない。それまでは、――さようなら。パアドレ・オルガンテ・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・が、左舷の水平線の上には大きい鎌なりの月が一つ赤あかと空にかかっていた。二万噸の××の中は勿論まだ落ち着かなかった。しかしそれは勝利の後だけに活き活きとしていることは確かだった。ただ小心者のK中尉だけはこう云う中にも疲れ切った顔をしながら、・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・殊に窓へ雨がしぶくと、水平線さえかすかに煙って見える。――と云う所から察すると、千枝子はもうその時に、神経がどうかしていたのだろう。 それから、中央停車場へはいると、入口にいた赤帽の一人が、突然千枝子に挨拶をした。そうして「旦那様はお変・・・ 芥川竜之介 「妙な話」
・・・嘘だと思ったら、窓の外の水平線が、上ったり下ったりするのを、見るがいい。空が曇っているから、海は煮切らない緑青色を、どこまでも拡げているが、それと灰色の雲との一つになる所が、窓枠の円形を、さっきから色々な弦に、切って見せている。その中に、空・・・ 芥川竜之介 「MENSURA ZOILI」
・・・上げて来る潮で波が大まかにうねりを打って、船渠の後方に沈みかけた夕陽が、殆ど水平に横顔に照りつける。地平線に近く夕立雲が渦を巻き返して、驟雨の前に鈍った静かさに、海面は煮つめた様にどろりとなって居る。ドゥニパー河の淡水をしたたか交えたケルソ・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・稀に散在して見える三つ四つの燈火がほとんど水にひッついて、水平線の上に浮いてるかのごとく、寂しい光を漏らしている。 何か人声が遠くに聞えるよと耳を立てて聞くと、助け舟は無いかア……助け舟は無いかア……と叫ぶのである。それも三回ばかりで声・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ 遠い水平線は、黒く、黒く、うねりうねって、見られました。空を血潮のように染めて、赤い夕日は、幾たびか、波の間に沈んだけれど、若者の船は、もどってきませんでした。はすっぱの娘は、はじめのうちこそ、その帰りを待ったけれど、生死がわからなく・・・ 小川未明 「海のまぼろし」
・・・ふと、その口笛は止まって、瞳は水平線の一点に、びょうのように、打ちつけられたのです。いましも、金色に縁どられた雲の間から、一そうの銀色の船が、星のように見えました。そして、その船には、常夏の花のような、赤い旗がひらひらとしていました。「・・・ 小川未明 「希望」
・・・わずか数浬の遠さに過ぎない水平線を見て、『空と海とのたゆたいに』などと言って縹渺とした無限感を起こしてしまうなんぞはコロンブス以前だ。われわれが海を愛し空想を愛するというなら一切はその水平線の彼方にある。水平線を境としてそのあちら側へ滑り下・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・裾のぼやけた、そして全体もあまりかっきりしない入道雲が水平線の上に静かに蟠っている。――「ああ、そうですな」少し間誤つきながらそう答えた時の自分の声の後味がまだ喉や耳のあたりに残っているような気がされて、その時の自分と今の自分とが変にそ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
出典:青空文庫