・・・が、年若な求馬の心は、編笠に憔れた顔を隠して、秋晴れの日本橋を渡る時でも、結局彼等の敵打は徒労に終ってしまいそうな寂しさに沈み勝ちであった。 その内に筑波颪しがだんだん寒さを加え出すと、求馬は風邪が元になって、時々熱が昂ぶるようになった・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・もし、ブルジョアとプロレタリアとの間に、はじめから渡るべき橋が絶えていて、プロレタリア自身の内発的な力が、今度の革命をひき起こしていたのならば、その結果は、はるかに異なったものであることは、誰でも想像するに難くないだろう。 しかしこうは・・・ 有島武郎 「広津氏に答う」
・・・ 一足進むと、歩くに連れ、身の動くに従うて、颯と揺れ、溌と散って、星一ツ一ツ鳴るかとばかり、白銀黄金、水晶、珊瑚珠、透間もなく鎧うたるが、月に照添うに露違わず、されば冥土の色ならず、真珠の流を渡ると覚えて、立花は目が覚めたようになって、・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ 水層はいよいよ高く、四ツ目より太平町に至る十五間幅の道路は、深さ五尺に近く、濁流奔放舟をもって渡るも困難を感ずるくらいである。高架線の上に立って、逃げ捨てたわが家を見れば、水上に屋根ばかりを見得るのであった。 水を恐れて雨に懊悩し・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・嫁入のさきざきで子供を四人も生んだけれ共みんな女なんで出る段につれて来てその子達も親のやっかいになって育て居たけれどもたえまなくわずらうので薬代で世を渡るいしゃでさえもあいそをつかして見に来ないのでとうとう死ぬにまかせる外はない。弟の亀丸も・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・ブリッジを渡る暇もないのでレールを踏越えて、漸とこさと乗込んでから顔を出すと、跡から追駈けて来た二葉亭は柵の外に立って、例の錆のある太い声で、「芭蕉さまのお連れで危ない処だった」といった。その途端に列車は動き出し、窓からサヨナラを交換したが・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ やがて、そのひづめの音が、聞こえなくなると、後には、夜風の空を渡る音がかすかにしました。しかしこうして、ひづめの音は、夜中、家々の前をいくたびも往来したのであります。そして、夜明けごろに、この一隊は、海の方を指して、走っていきました。・・・ 小川未明 「赤い姫と黒い皇子」
・・・旅を渡る者にゃ雪は一番御難だ。ねえ君、こうして私のように、旅から旅と果しなしに流れ渡ってて、これでどこまで行着きゃ落着くんだろう。何とやらして空飛ぶ鳥は、どこのいずこで果てるやらって唄があるが、まったく私らの身の上さね。こうやってトドの究り・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ピシ、ピシと敲かれ、悲鳴をあげ、空を噛みながら、やっと渡ることができる。それまでの苦労は実に大変だ。彼は見ていて胸が痛む。轍の音がしばらく耳を離れないのだ。 雨降りや雨上りの時は、蹄がすべる。いきなり、四つ肢をばたばたさせる。おむつをき・・・ 織田作之助 「馬地獄」
・・・多分是を渡るであろう。もう話声も聞えぬ。何国の語で話ていたか、薩張聴分られなかったが、耳さえ今は遠くなったか。己れやれ是が味方であったら……此処から喚けば、彼処からでもよもや聴付けぬ事はあるまい。憖いに早まって虎狼のような日傭兵の手に掛ろう・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
出典:青空文庫