・・・というやつがあって、誰も漢字に翻訳することができなかった。それでも結局「修善寺野田屋支店」だろうということになったが、こんな和文漢訳の問題が出ればどこの学校の受験者だって落第するにきまっている。 通信部は、日暮れ近くなって閉じた。あのい・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・ 二十五年前には外山博士が大批評家であって、博士の漢字破りの大演説が樗牛のニーチェ論よりは全国に鳴響いた。博士は又大詩人であって『死地に乗入る六百騎』というような韻文が当時の青年の血を湧かした。 二十五年前には琴や三味線の外には音楽・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・二葉亭も一つの文章論としては随分思切った放胆な議論をしていたが、率ざ自分が筆を執る段となると仮名遣いから手爾於波、漢字の正訛、熟語の撰択、若い文人が好い加減に創作した出鱈目の造語の詮索から句読の末までを一々精究して際限なく気にしていた。・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・無闇に字面を飾り、ことさらに漢字を避けたり、不要の風景の描写をしたり、みだりに花の名を記したりする事は厳に慎しみ、ただ実直に、印象の正確を期する事一つに努力してみて下さい。君には未だ、君自身の印象というものが無いようにさえ見える。それでは、・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・無闇に字面を飾り、ことさらに漢字を避けたり、不要の風景の描写をしたり、みだりに花の名を記したりする事は厳に慎しみ、ただ実直に、印象の正確を期する事一つに努力してみて下さい。君には未だ、君自身の印象というものが無いようにさえ見える。それでは、・・・ 太宰治 「芸術ぎらい」
・・・なお彼は、文政十年、十六歳の春より人に代筆せしめ稽古日記を物し始めたが、天保八年、二十六歳になってからは、平仮名いろは四十八文字、ほかに数字一より十まで、日、月、同、御、候の常用漢字、変体仮名、濁点、句読点など三十個ばかり、合わせても百字に・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・但し、漢字でかくのと大した変りはない。それにしても日本の学者の論文が外国に紹介されるときに別人の仕事が同一人の仕事のように取扱われるような、よくある混同を避けるにはこういう新案もいいかもしれないのである。もう一歩進んで姓名の代りに囚人のよう・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・気をつけてみると、つい私の隣にかけていた連れの一人の読んでいる新聞が漢字ばかりのものであった。容貌から見るとどうもシナではなくて朝鮮から来た人たちらしく思われた。 玉川の川原では工兵が架橋演習をやっていた。あまりきらきらする河原には私の・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・シナ人があまり漢字をだいじに育てあげたためにシナの文化が伸展しなかったというような事がおもしろく論じてある。 現代の物理的科学は確かに数学の応用のおかげで異常の進歩を遂げた。この事には疑いもないが、その結果として数学にかからない自然現象・・・ 寺田寅彦 「数学と語学」
・・・ 新型式中でも最も思い切った新型式としては、モザイックのような表象を漢字交じりで並べたテキストに、そのテキストとはだいぶかけ離れたルビーを並立させたものがある。これらになるともう単に俳句としての型式だけの変異ではなくて、詩というものの本・・・ 寺田寅彦 「俳句の型式とその進化」
出典:青空文庫