出典:青空文庫
・・・蜂は必死に翅を鳴らしながら、無二無三に敵を刺そうとした。花粉はその翅に煽られて、紛々と日の光に舞い上った。が、蜘蛛はどうしても、噛みついた口を離さなかった。 争闘は短かった。 蜂は間もなく翅が利かなくなった。それから脚には痲痺が起っ・・・ 芥川竜之介 「女」
・・・ 人の身の丈よりも高い高粱は、無二無三に駈けてゆく馬に踏みしだかれて、波のように起伏する。それが右からも左からも、あるいは彼の辮髪を掃ったり、あるいは彼の軍服を叩いたり、あるいはまた彼の頸から流れている、どす黒い血を拭ったりした。が、彼・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・ それから休憩時間の喇叭が鳴るまで、我毛利先生はいつもよりさらにしどろもどろになって、憐むべきロングフェロオを無二無三に訳読しようとした。「Life is real, life is earnest.」――あの血色の悪い丸顔を汗ばませて・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・いや、それは身を躱したところが、無二無三に斬り立てられる内には、どんな怪我も仕兼ねなかったのです。が、わたしも多襄丸ですから、どうにかこうにか太刀も抜かずに、とうとう小刀を打ち落しました。いくら気の勝った女でも、得物がなければ仕方がありませ・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・子供はと見ると、もう車から七、八間のところを無二無三に駈けていた。他人の耳にはこの恐ろしい物音が届かないうちに、自分の家に逃げ込んでしまおうと思い込んでいるようにその子供は走っていた。しかしそんなことのできるはずがない。彼が、突然地面の上に・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・ が、一刻も早く東京へ――唯その憧憬に、山も見ず、雲も見ず、無二無三に道を急いで、忘れもしない、村の名の虎杖に着いた時は、杖という字に縋りたい思がした。――近頃は多く板取と書くのを見る。その頃、藁家の軒札には虎杖村と書いてあった。 ・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・ 折から一天俄に掻曇りて、どと吹下す風は海原を揉立つれば、船は一支も支えず矢を射るばかりに突進して、無二無三に沖合へ流されたり。 舳櫓を押せる船子は慌てず、躁がず、舞上げ、舞下る浪の呼吸を量りて、浮きつ沈みつ、秘術を尽して漕ぎたりし・・・ 泉鏡花 「取舵」